ヤクルト長岡秀樹 高1の時、白血病と診断された母のドナーに 激痛伴うも「即答でやると」

[ 2024年3月4日 22:03 ]

ヤクルト・長岡秀樹
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 TBSのスポーツ・ドキュメンタリー「バース・デイ」(土曜後5・00)が2日に放送され、ヤクルトの長岡秀樹内野手(22)が高校1年生の時に白血病と診断された母のためドナーとなったことについて語った。

 千葉県出身で、八千代松陰から2019年ドラフト5位でヤクルト入りした長岡。高卒3年目の22年には正遊撃手のポジションをつかんで139試合に出場し、守備の名手が選ばれるゴールデングラブ賞を球団史上最年少で受賞。チームのセ・リーグ連覇に貢献した。昨季からは背番号も58から1桁の7に昇格。次世代のヤクルトを担うことが期待されている。

 そんな長岡だが、母・綾子さんが白血病に侵されていると判明したのが高1の時。しかも主治医いわく「特にたちの悪いタイプ」で、抗がん剤治療をしてもなかなか効果が望めず、造血幹細胞移植が有効とされるものだった。検査の結果、兄や姉は白血球の型が合わず。一番型が近かったのが末っ子の長岡だった。

 母の病気が分かった時は「言葉が出なかったです」とし、「まさか僕の母親が…」とした長岡。ドナーになり、白血球を増やす注射を打つと腰に激しい痛みが出るため一定期間休みを取らなければならず、痛み止めも効かないことから夜も眠れず入院する人もいるという。

 体への負担は重かったが、「僕はもう即答で“やる”と言いましたね」とし、「母親がもしかしたらいなくなってしまうっていう恐怖感はありましたけど、僕の恐怖感はなかったです」と最愛の母のドナーになることを即決した。

 実際に注射を打ち始めると、グラウンドに立てない日々が1週間以上続き、注射による腰の痛みで「座れないぐらい痛かった時期もあった」という。

 「体には負担がかかって。学校もちょっと早退したり、遅れて行ったり、休んだり…とかさせちゃったよね…うん。そのおかげでね。もうありがとうしかないね、本当に」と当時を回想する綾子さん。

 移植手術は無事成功したが、合併症があり、母の闘病生活は約2年間続いた。その間には同級生たちの母親が交代で長岡の弁当を作ってくれたことも。いろいろな人に支えられて高1の秋には背番号6をもらい、病室の母にユニホームを届け、背番号を縫い付けてもらったこともあるという。

 「お母さんにいい姿を見せたいってことで頑張っていましたね」と長岡。高3夏には千葉県決勝で敗れて甲子園には行けなかった。大学でやる自信もなかったため、野球をやめることも考えたが、この時は球場に応援に来るまで回復していた母から「出さなきゃ向こうから選んでもらえないんだから」と背中を押され“ダメ元”でプロ志望届を提出。無事にヤクルトからドラフトで指名され、現在につながっている。

 母は現在、3カ月に1度の検診のみで寛解状態。球場へも足を運んでいるという。長岡は「しょっちゅう連絡は取らないんですけど、たまに母親と電話したら1時間半とかしちゃうんですよ、2時間とか。僕の知らないところで喜んでるんだろうなっていうのは凄い感じるんで。もっともっと喜ばせてあげたいなって気持ちが強いです」と今後の活躍を改めて誓っていた。
 

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