【巨人・松田引退会見一問一答(3)】打って守って走って声を出すという四拍子で頑張ってきた

[ 2023年9月28日 20:28 ]

サプライズで駆けつけた内川氏(左)と坂本(右)と熱男ポーズを決める松田(撮影・西尾大助)
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 巨人の松田宣浩内野手(40)が28日、都内のホテルで会見を開き、今季限りでの引退を発表。18年間の現役生活を振り返った。

 ――この1年間、若手と接する機会が多かった。熱男の後継者を選ぶとしたら。

 「2軍で生活することが、プレーすることが多かったので、たくさん若い選手がいました。その中で自分がヒットを打った時くらい、若い選手が9月に入ってから、ヒットを打ったりホームランを打って喜んでいる笑顔を見ると、自分のことのようにうれしくなってる自分もいました。そういった意味では後継者ではないんですけど、歳も22歳も離れているが、ジャイアンツに同期で入団した浅野選手。同じ右バッターですし、今年初ホームランも打った。本当に元気で一生懸命野球に取り組んでます。必ず未来があるので、浅野選手を熱男の後継者に指名できたらうれしいかなと思います」

 ――単身で東京。家族への思いを。

 「本当に単身で来て、これまで当たり前のことが当たり前じゃないと思いますし、常に家に帰ったら妻や2人の子供たちが温かく見守ってくれたし。やっぱり妻の存在は僕にとっては大きくて、野球、プロ野球で一緒に進んできたパートナーだと思いますし、その中で、今年と違うことは、家に帰って妻とホークス時代は、家に帰って食事を食べて、その後、毎試合2人でバッティングを振り返りました。僕は自分で見ていたんですけど、妻は何も分からないと思うんですけど、2人でああでもない、こうでもないと言って、その日を反省して、また明日頑張ろうというのがホームでの日課でした。今年に関してはそういうこともできなかったですし、やっぱりそういう家族の存在は本当に自分の元気の源だったし、最高の妻と出会って、子供たちに出会って、こうやって子供たちが記憶に残る年ぐらいまではプロ野球選手としてできたので本当によかったと思いますし、今度は一人の父親として近くにして、何でもサポートに回れる父親になっていけたらと思います」

 ――18年間で自分自身を褒めたいこと、貫いてきたものは。

 「最初はこういう体は強い、元気というのは若い時から持ち味だったが、2012年に川崎選手がメジャーに行ってから、この役目はお前に託したと言われてから、11年間、昨日電話もさせていただきましたけど、そこから今日まで、原監督さんもジャイアンツに来た時に“今まで通り元気出してプレーしたらいい”と言ってくれた。野球選手で元気を出す、声を出すというのは、いるかいらないかといったら本当に考え一つだったと思うんですけど、自分自身が打って守って走って声を出すという四拍子でプロ野球で頑張ってきたので、打つ守る走るよりも、声、元気っていうのはこのプロ野球界の中でもしっかりできたと思いますし、勝っているという自信はあります」

 ――松岡修造に、と。ホットに熱くするには。

「自分はやる気、気持ち一つで一人の人間が変わっていくと思いますので、そういう事が大事だと思いますし、自分もそういう経験、体験をさせていただいたので、どうせやるんだったら楽しく、明るく、熱く、物事にチャレンジするのがいいかなと思いますので、だからこそ松岡修造さんみたいに、熱い男、人間になりたいという言葉を言わせて頂きました」

 ――あす以降は2軍で試合に?

 「まだ分からないけれど、明日と明後日はジャイアンツ球場で2軍の試合がありますので、そこに参加させていただきます」

 ――入団会見で原監督は「敵にあいさつをしないのが好感」と言っていた。その理由は。

 「それは意識的にしていたのもあるし、今では侍ジャパンとかオールスターとか、相手チームと身近に交流できる、自主トレもそうですけど、昔と違う環境の中で野球ができてると思います。それは自分もいろいろなことを勉強であったり、出会いであったり、本当にいい経験だと思うんですけど、いち敵になった時にそういう気持ちが出るとよくないなと思って、ユニホームを着た時から少しそういうあいさつだったりは控えるように自分自身で考えてやっていました」

 ――巨人の若手に伝えたかったこと、これは伝えられたと思ったことは。

 「1軍の選手も2軍の選手もプロ野球選手である以上、打って守って走る、そんなに力の差は正直なところ変わらないと思います。それにプラスアルファ何が出来るかというところでは、自分では元気、明るく声を出してやることによって物事もうまく進んでいくと思うし、気持ちの持ちようも変わってくると思うので、自分もそういう感じで野球には取り組んでいたので、若い選手、ジャイアンツの2軍の選手はみんな目を輝かせて来シーズン以降も頑張ろうと絶対結果出してやろうと思ってますので、そういった意味ではこの1年間短かったが、一緒に野球ができて、技術以外にも元気だったり、熱く野球をすることで少し変わった方向から結果が出るんじゃないかなということはこの短期間で伝えられたと思う」

 ――日本代表での活躍もあった。引退というところで、日本代表でのプレーは。

 「よくこれは坂本勇人選手、中田翔選手と話したんですけど、第3回、4回のWBCはベスト4という結果で終わりました。1回、2回、5回と世界一獲ってます。3回、4回の主力の3人はWBCでの決勝、世界一という光景を見ていないとよく話したが、でも日本代表で戦う、日の丸を背負い、戦うという強い気持ちは常にあった。自分のチームとは違う緊張やプレッシャーもあるんですけど、日本代表で日の丸を背負って野球ができたのも、この18年、長く野球ができたと思うし、侍ジャパンには今後も頑張ってほしいし、自分の中では侍ジャパンで一番良かった出来事は、プレミアの決勝で日の丸の鉢巻きをして声出しして、世界一を取ったあの大会です」

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