聖光学院“父子鷹”斎藤V弾!兄の無念胸に夢つなぐ

[ 2010年8月17日 06:00 ]

<聖光学院・履正社>8回2死一塁、聖光学院・斎藤英哉は右越えに2ランホームランを放ちガッツポーズ

 【聖光学院5―2履正社】弾丸ライナーと化した聖光学院・斎藤英哉の打球が、右翼ポール際に吸い込まれていく。同点の8回2死一塁。甘いカーブを見逃さず、フルスイングした。

 「無心で振り抜いた。あそこまで飛ぶとは思っていなかった。いつも頑張ってくれている(エースの)歳内を助けることができてよかった」
 チームを2年ぶりのベスト8に導く決勝弾。本人はもちろん、本人以上に相好を崩したのが斎藤智也監督だった。同じ斎藤姓。父、次男の父子鷹だ。8回は先頭打者が出塁しながら、2度の送りバント失敗で2死。その嫌な流れを英哉が断ち切った。お立ち台で息子と並んでインタビューを受けた指揮官は「ナイスバッティングだった。息子としても、一部員としても、泣きたいぐらいうれしい」。これが初めて見せた父親の顔だった。
 親子として必要以上に注目を集める。だからこそ、父は息子に厳しすぎるほどに厳しかった。中学時代には「高校で野球をするなら県外に行け」とも言った。最終的に、英哉は聖光学院の門を叩いた。そこでも父は「人並みの結果で使うつもりはない。人の2倍以上の結果を出して、レギュラーとして使うかどうかだ」と突き放した。昨秋にスタートした新チームではベンチ入りはさせたものの「打撃センスはいいが守備に不安がある」との理由で正三塁手の座は与えなかった。
 その中、英哉は自主練習でノックに明け暮れた。背番号「5」をつけて出場した今春の東北大会では公式戦初本塁打を放ち、今夏の地方大会でも・476の高打率を残した。父も認めざるを得なかった。甲子園でも英哉は2試合無失策だ。
 大阪代表の履正社には負けたくなかった。1歳上の兄・寛生(仙台大1年)が左翼手として出場していた昨夏の初戦はPL学園に3―6で敗れた。くしくも最後の打者となったのが寛生。兄の姿を見つめながら「来年は自分がここで勝つんだ」と心に誓った。
 広陵、履正社と優勝候補の一角を続けて撃破し、ベスト8進出。斎藤監督が「ここはまだ通過点」といえば、英哉も「父への最高の恩返しは全国制覇」。父子共通の夢に揺らぎはない。

 ◆斎藤 英哉(さいとう・ひでや)1992年(平4)12月18日、福島市生まれの17歳。小学1年からソフトボールを始め、北信中では軟式野球部に所属。右投げ左打ち。50メートル走は6秒5。座右の銘は「超越」。将来の夢は野球にかかわる仕事に就くこと。1メートル76、71キロ。

 ◆斎藤 智也(さいとう・ともや)1963年(昭38)6月1日、福島市生まれの47歳。福島高で投手兼外野手。仙台大では副主将で外野手。87年に聖光学院野球部部長に就任し、99年から監督。01年夏に甲子園初出場。出場回数は春夏合わせて通算9回。座右の銘は「不動心」。1メートル73、75キロ。家族は妻、2男、1女。

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2010年8月17日のニュース