61歳、心不全…元広島監督・三村敏之さん急死

[ 2009年11月4日 06:00 ]

10月29日のドラフト会議に出席した米田楽天球団代表(右)三村編成部長(中)島田球団社長(左)

 元広島監督で、楽天の編成部長の三村敏之(みむら・としゆき)氏が3日午前10時5分、心不全のため仙台市内の病院で死去した。61歳だった。広島県海田町出身。三村氏は5月に広島市内の病院で肝臓の手術をして療養するなど体調はすぐれなかった。夏前には現場に復帰。10月29日のドラフト会議にも出席していたが、2日夜に仙台市内のマンションで吐血、入院先の病院で帰らぬ人となった。

 突然の訃報だった。現役時代は遊撃手、三塁手として活躍。1975年の広島のリーグ初優勝、79年、80年の日本シリーズ連覇に貢献した三村氏が、長女にみとられながら永眠した。5月に肝臓の手術をしたが、10月のフェニックス・リーグ(宮崎)を視察し、同29日のドラフト会議にも参加していただけに、関係者にとっても信じられない悲報だった。
 2日は秋季練習を前に新任コーチが集まった。監督不在の秋季練習となるため、三村氏はKスタ宮城に隣接する球団事務所でのコーチ会議に参加する予定だったが、体調がすぐれないことから市内のマンションに戻り静養。その後、体調が急変し吐血。自ら救急車を呼んで緊急入院したが、朝方に再び容体が悪化した。
 三村氏といえば96年、長嶋巨人の逆転優勝による「メークドラマ」の悲劇の指揮官だった。広島は前半戦、首位を独走しながら終盤戦に故障者が相次ぎ11・5ゲーム差をひっくり返された。
 広島生まれで広島商から66年にドラフト2位で広島に入団。現役17年間で3度のベストナインを獲得するなど、通算1567試合に出場し、打率・255、149本塁打。引退後も2軍コーチなどを歴任し、94年から5年間指揮を執った。監督退任後は99年からは本紙評論家として健筆をふるった。04年に山本浩二元監督の復帰に伴い、ヘッドコーチに就任も05年に退任。07年12月に楽天の統括本部編成部部長に就任した。

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2009年11月4日のニュース