新大関・朝乃山 夢諦めようとした過去、そして転機…“かかし”鍛えてくれた「先生」を信じて

[ 2020年3月24日 07:00 ]

春場所を終え朝潮親方(左)と握手をする朝乃山(右)
Photo By 代表撮影

 【新大関・朝乃山独白「一生懸命」(上)】大相撲春場所で大関昇進を確実にした朝乃山(26=高砂部屋)がこれまでの半生と今後への決意を自らの言葉でスポニチ本紙に語った。3回連載でお届けする。

 中3夏の大会で腕をきめられて左肘を骨折した。そして、僕は全国大会のメンバーから外れて応援側に回った。試合が終わり相撲をやめようと思った時、富山商の浦山英樹先生が声をかけてくれた。それから中学卒業まで、週末になると富山商で高校生と一緒に稽古をして時間の経過とともに入学を決意した。稽古は長ければ一日5時間。高校3年間めっちゃきつかったけど主将も任されて仲間と一丸になり頑張った。

 先生は左四つ。だけど、僕はケガをしたから左を差すのが怖かった。中学校の時は弱々しい体で、だからきめられてすぐに骨折した。先生が3年前に40歳で病死して、奥さんから聞かされた。先生が僕を「かかし」と呼んでいたらしい。高校入学時は1メートル83、100キロ。確かにひょろひょろだった。小学生の時、わんぱく相撲の存在も知らず、いつも富山市大会で敗退。全国大会を知ったのは中学入学後だ。もちろん、プロに行くとは思ってなかった。

 高2の冬、理髪店に行き額にそり込みを入れて眉を整えた。眉をそったら駄目な規則だったけど高2だし外見も少しは気にした。そしたら稽古が終わる時、先生から怖い声で「来いっ!」と言われた。「お願いします」と胸を借りてぶつかり稽古をしたがボコボコにされて砂まみれになった。「おまえは相撲に気合入れんと、どこに気合入れとんじゃ」。めっちゃ怒られた。

 先生の住んでいる寒江地区で毎年恒例の元旦マラソンがあった。正月は先生の家に行き、吹雪でも相撲部員で走った。いかに近道を探すかが勝負。だが、先生にはなぜか見つかった。「ちゃんと走れ!」。ゴールすると、先生の家でお雑煮を食べて初詣に行った。魚のつみれと野菜とお餅が入ってもの凄くおいしかった。餅10個は食べた。太らなかったから先生に餅を食えと言われ、砂糖じょう油につけたものを1日10個ぐらい食べた。飲み物はどうしたらいいか聞いたら「コーヒーや」と言われ、苦手だし、めっちゃ体に悪いやんと思ったけど、甘いインスタントコーヒーで流し込んだ。それくらいずっと先生を信じてきた。(朝乃山 英樹)

 ◆朝乃山 英樹(あさのやま・ひでき)本名石橋広暉(いしばし・ひろき)。1994年(平6)3月1日生まれ、富山市出身の26歳。近大を経て2016年春場所、本名の石橋で三段目100枚目格付け出しデビュー。17年春場所の新十両で改名し、富山商の浦山英樹監督(故人)から3文字もらった。同年秋場所新入幕。令和最初の19年夏場所で初優勝。三賞は殊勲賞2回、敢闘賞3回、技能賞1回。金星1個。得意は右四つ、寄り。家族は両親と兄、弟。血液型A。

続きを表示

2020年3月24日のニュース