CTB中村亮土は「鹿児島ラグビー界の西郷隆盛」 幾多の壁を乗り越えた努力の天才

[ 2019年9月27日 15:45 ]

26日、会見するトゥポウ(左)と中村(撮影・久冨木 修) 
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 生真面目で真摯(しんし)な中村亮土らしい受け答えだった。

 26日のアイルランド戦メンバー発表の会見。12番で先発する中村に向けられた最初の質問は、「今回の試合で松島選手からトライの宣言は?」だった。開幕ロシア戦前の会見で、松島のハットトリック宣言を暴露していただけに、絶対に聞かなければいけない質問ではある。一方で最初の質問から他人のことを聞くのは、少しはばかられる面がある。逡巡していると、他の記者が第一声から切り込んだ。中村も「松島は2トライと言ってました。で、マノ(レメキ)も2トライと言っていたので、4トライは確実です」と答えた。会見場は和やかなムードに包まれた。

 9月のはじめ、本人が「代表に入ってない状況からスタートした」と振り返ったように、13年5月に代表初キャップを獲得した中村が現体制でメンバー入りに定着したのは昨年秋から。それ以前も三十数人のスコッドには選ばれていたものの、リザーブだったり、時にはベンチ外で出場記録を残していない。今年に入ってもFW第3列のウォーレンボスアヤコがCTBにコンバートされ、激しいポジション争いにさらされた。結果的にオーストラリア出身のライバルは日本代表資格を得られずに離脱したが、常に厳しい立場からはい上がってきたのが中村だ。

 31人の代表に努力をしていない選手は1人もいないが、そうした経緯や実直な性格も手伝って、中村には「努力の天才」というイメージがぴったりくる。鹿児島実高時代の恩師である富田昌浩監督(当時コーチ)は、そんな教え子を「負けず嫌いだから、何かしら壁があった方がいいタイプ。僕としては、すんなりレギュラーになれずに良かったと思う」と評する。帝京大でも同学年選手の中で一度は埋もれ、サントリーではレギュラーをつかみかけたと思ったら、翌シーズンには海外から世界的名手が加入する。その度に乗り越え、1次リーグ最大の山場であるアイルランド戦でも12番。もう胸を張っていい。

 「あいつは薩摩隼人(はやと)。鹿児島ラグビー界の西郷隆盛です」。恩師の言葉を表現するような、愚直なプレーを静岡の地でも見せられるか。(阿部 令)

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