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西野監督、打ち合い上等!屈辱「D判定」から22年 超攻撃で集大成

[ 2018年6月19日 05:30 ]

W杯1次リーグH組   日本―コロンビア ( 2018年6月19日    サランスク )

会見で西野監督(左)にイヤホンを付ける長谷部(撮影・西尾 大助)
Photo By スポニチ

 選手が寝静まった18日未明。大阪を中心に発生した地震と時を同じくして、日本代表が宿泊するサランスク市内のホテルがアクシデントに見舞われた。警報機が誤作動。約15分、大音量のブザーが鳴り続けた。同日午後、コロンビア戦に向けた会見。西野監督は「大阪を中心にした震災があり動揺している選手がいる。家族が影響を受けた選手もいる。同時にホテル内でも動揺する出来事があった。デリケートな選手は毎朝見る顔とは違い、寝不足の顔だった。影響があると感じた」と厳しい表情を浮かべた。

 不測の事態が起きても、やるべきことは変わらはない。4月12日の電撃就任から68日。限られた準備期間の中、縦一辺倒のハリルホジッチ前監督の戦術からボールを保持するスタイルにシフトした。相手はFIFAランク16位の格上だが「自分たちでゲームをコントロールしたい。攻撃的な部分をフォーカスして選手を送り出したい」と明言。展開に応じて引いてブロックをつくる時間帯も想定するが、基本的には攻撃的サッカーで真っ向勝負を挑む方針だ。

 原点には屈辱の「D判定」がある。当時41歳。96年アトランタ五輪で1次リーグ2勝1敗と健闘したが、勝ち点で並ぶブラジル、ナイジェリアを得失点差で下回り決勝トーナメント進出を逃した。帰国後、技術委員会から下されたのは、5段階で下から2番目の厳しい判定。前園真聖、城彰二ら攻撃陣にタレントをそろえながら守備的に戦ったことが疑問視された結果だった。

 西野氏は「DでもZでも同じ。その後“超攻撃的”という発想に至ったのは、その評価に対する反骨精神があったから」。02〜11年に指揮したG大阪で「超攻撃」のスローガンを掲げ名将の地位を確立した。アジア王者として出場した08年クラブW杯準決勝ではマンチェスターUに3―5の打ち合いを演じた。守り倒すどん引き戦術で「マイアミの奇跡」を起こした22年前の姿はない。「スパシーバ(ありがとう)」の言葉で会見を締めくくった指揮官は積極采配で勝ち点3を奪いにいく。

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2018年6月19日のニュース