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恐縮の極み

[ 2017年1月17日 07:30 ]

ジェノア時代の三浦知良(右)(1995年撮影)
Photo By スポニチ

 【我満晴朗のこう見えても新人類】50歳での現役が決まった三浦知良(横浜FC)の隠れファンを自任している。

 本格的にサッカーを担当したことはないので、カズを取材したカズは一回しかない。その唯一の経験が1994年の夏だった。場所はイタリアのジェノバ。期間は約3週間。日本人どころかアジア人初のセリエA選手となった日本代表FWの密着リポートを送稿するのが目的だった。

 サッカー担当ではない筆者がなぜそんなことになったのか。当時は主に五輪種目をカバーしていたので、9月にローマで開催される水泳世界選手権への派遣が決まっていた。そのつもりで8月は取材準備にあてようとのんびり構えていたら「どうせイタリアに行くのだから早めに現地入りしてカズの取材をしてこい」という突然の業務命令。慌ててアリタリア機に乗り込んだのが、確かお盆のど真ん中の15日だったっけ。

 猛暑のジェノア練習場で本人に初めて会った時、すでに緊張していた。「…てなわけで取材にきました」とシドロモドロにあいさつしながら名刺を手渡すと「あ、そう」とけげんな表情を浮かべ、軽く握手しただけで終了。誰がどう見てみてもいちげんさんなのだから仕方ない。その日は原稿など1行も書けなかった。

 数日後。練習後にコメントをとるためクラブハウスに通じる門で出待ちをしていると、奥からカズのクルマがぶるるんと音を立ててこちらに向かってきた。そのまま走り去ってしまうのか…と覚悟した次の瞬間、筆者の前でぴたっと停車。運転席側のパワーウインドーがするすると下がる。おお、ご本人がこちらを向いてニコニコしているではないか。そして…。

 「きのうの記事、ありがとう」

 はっとした。その2日前、カズは地元アマチュアチームとの練習試合に出場。切れのあるプレーで周囲に好印象を与えた、という内容の原稿を執筆したことを思い出した。その記事を日本から送られたファクスで読んだという(ネットのない時代でした)。下手くそなインタビューとつまらない文章で取材対象や上司から怒られたことはカズ知れないが、ここまでストレートに当事者から謝意を告げられたのはカズ少ない。いや、記者生活初めてだったと言っていい。

 そのまま数分間、立ち話(カズは車内に座っていたけど)。内容は濃く、当日の原稿は筆が躍った(ワープロだったけど)。

 後日談がある。10年ほど前だ。ベテランのサッカー担当からこんな話を聞いた。

 「あの時のカズはセリエAデビューを前に相当ナーバスだったので、メディアに対し冷たい態度をとってしまったと、今でも気にしているみたいなんです」

 そうだったのか。

 そんなこと、なかったのに。

 ありがとうと言うべきなのはこちらの方だ。

 以来、カズの隠れファン指数は倍増した。隠れてなくていいのだけど。(専門委員)

 ◆我満 晴朗(がまん・はるお)1962年、東京都生まれ。ジョン・ボンジョビと同い年。64年東京五輪は全く記憶にない。スポニチでは運動部などで夏冬の五輪競技を中心に広く浅く取材し、現在は文化社会部でレジャー面などを担当。たまに将棋の王将戦にも出没し「何の専門ですか?」と尋ねられて答えに窮する。愛車はジオス・コンパクトプロとピナレロ・クアトロ。

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2017年1月17日のニュース