【凱旋門賞】日本馬挑戦の歴史 エルコンドル2着、ディープは3位入線後に失格、オルフェはV目前で…

[ 2022年10月2日 23:21 ]

G1・凱旋門賞 ( 2022年10月2日    フランス・パリロンシャン芝2400メートル )

12年の凱旋門賞、残り20メートルでソレミア(右)に差され、オルフェーヴルは2着に敗れる
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 今年も日本の夢は現実にならなかった。今年のダービー馬・ドウデュース(牡3=友道)、G1を3勝のタイトルホルダー(牡4=栗田)、海外重賞2勝のステイフーリッシュ(牡7=矢作)、2年連続参戦のディープボンド(牡5=大久保)という充実布陣。パリロンシャンを軽やかに駆けることはできず、最先着はタイトルホルダーの11位入線が最高と厳しい現実を突きつけられた。レースを制したのはアルピニスタだった。

 日本馬が凱旋門賞に初挑戦したのは50年以上も昔、1969年のことだ。その2年前に天皇賞・春を制したスピードシンボリが現地に滞在し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスS(5着)、ドーヴィル大賞(10着)を経て参戦。しかし、世界の強豪の壁は厚く、着外に敗れた。その後、72年にメジロムサシ、86年にシリウスシンボリが海を渡ったが、上位争いに加わることはできなかった。

 歴史の扉が大きく動いたのは99年だった。実に前回参戦のシリウスシンボリから13年が経っていたが、この間に日本と世界の差が大きく縮まったことが証明される。春から欧州に長期滞在したエルコンドルパサーはサンクルー大賞を制し、凱旋門賞の有力候補に浮上。本番では意表を突く逃げを打ったが、同年の愛仏ダービー馬のモンジューに半馬身かわされて2着惜敗。悔しさと同時に、日本の競馬界に大きな希望をもたらす走りだった。

 21世紀を迎え、凱旋門賞への挑戦は活発になった。06年には史上最強馬との呼び声も高かったディープインパクトが遠征。大きな期待を集めたが、早めの進出から後続2頭に差され、まさかの3位入線。さらにレース後、禁止薬物が検出されたことで失格となる無念の結果に終わった。

 ディープインパクトの敗戦によって、凱旋門賞制覇への道は再び遠ざかったかに思えた。しかし、10年に日本でも決して現役最強という立ち位置ではなかったナカヤマフェスタが2着激走。このレースによって、日本馬のレベルアップが改めて証明された。

 さらに12年にはナカヤマフェスタと同じくステイゴールド産駒のオルフェーヴルが渡仏。前哨戦のフォワ賞を快勝し、本番でも直線で豪快に突き抜けて勝利目前となったが、ゴール前で内に斜行して急失速し、ソレミアの2着に終わった。オルフェーヴルは翌年も参戦したがトレヴの2着に完敗。これを境に日本勢は苦戦が続いており、14年以降ではのべ13頭が参戦しながら、14年のハープスターの6着が最高着順となっていた。

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2022年10月2日のニュース