【ジャパンC】杉山晴師 96年菊花賞が人生を決定づけた 中3から乗馬クラブに通って基礎学ぶ

[ 2020年11月24日 05:30 ]

東西の巨匠に挑む若き調教師――。 「杉山晴紀 Story」(1)

藤沢乗馬クラブに通っていた高校3年生の杉山師(本人提供)
Photo By 提供写真

 東西の巨匠に挑む若き調教師「杉山晴紀 Story」と題し、デアリングタクトでジャパンCに挑む気鋭の杉山晴紀師(38)に迫る。いかにしてトレーナーは史上初となる無敗牝馬3冠馬を送り出したのか…。

 父親は転勤族でした。1歳くらいまで大阪にいて、それから香港に5年。その後、横浜に2、3年住んで、高校を出るまで藤沢にいました。中学でサッカー部に入り、部活漬けの毎日。ゴールキーパーをやっていました。楽しかったし、一生懸命やっていましたね。

 学校生活の中で競馬ゲームとか競馬の話が出ることが珍しくなかった時代。97年には馬券の売り上げも年間4兆円に達するほどの競馬ブームでした。自然と競馬を身近に感じることができる環境にいました。中学3年の時に見たダンスインザダークが勝った菊花賞(96年)に大きな影響を受けました。競馬を仕事にしようと決めた大きなレース。中学の卒業文集で将来の夢に一人だけ「日本中央競馬会トレーニングセンター攻め馬専業調教助手」って書いたんです。もう、それしか考えてなかった。学校の先生からは不思議がられました。でも、周りには「高校だけは出ろ」って言われて。本当は中学を出てから牧場に行って、競馬学校を受け続けて一日でも早くトレセンに行きたいと思っていました。

 中学3年の冬くらいから「藤沢乗馬クラブ」に通い始めました。乗馬クラブの費用もかかる。自分で始めたことなので親に…というわけにもいかなくて。平日は毎日スーパーマーケットでアルバイト、そのお金を全部乗馬クラブに充てました。バスと電車で片道1時間以上かけて行ってましたね。馬に乗っていた時は楽しくて仕方なかった。バイトも何の苦にもならなかったです。

 ただ、いくらバイトを頑張っても、金銭的に週に1日くらいしか乗れないんですよ。さすがに週1日で1鞍か2鞍だと全然上手にならない。そこで見かねた先生が、厩舎作業を毎日するのであれば、無料で馬を乗せると言ってくれて。これがとても大きかった。ちょうど高校3年の丸1年間。馬乗りの基礎ができました。12月31日も1月1日も通っていました。高校3年の最後に馬術で県大会に出させてもらって、優勝したんですよ。最後だし、思い出づくりに出ようと思ったら優勝することができた。本当に楽しかったですね。

 ◆杉山 晴紀(すぎやま・はるき)1981年(昭56)12月24日生まれ、神奈川県出身の38歳。小松温泉牧場(現・小松トレーニングセンター)勤務を経て04年トレセン入り。栗東・武宏平厩舎の調教助手として担当したスリーロールスで09年菊花賞制覇。16年に調教師試験合格、同10月から開業。18年目黒記念(ウインテンダネス)でJRA重賞初制覇、その秋のJBCクラシック(ケイティブレイブ)でG1初制覇。今年、デアリングタクトで牝馬3冠を制し、牝馬3冠最年少トレーナーとなった。今年は36勝を挙げ、リーディングトップ10をキープ。JRA通算1220戦106勝。

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