岩元師、最後までまたがる名伯楽 馬の背中感じ続け50年以上

[ 2018年2月1日 05:30 ]

洗い場でリラックスするスーサンドンと岩元市三調教師
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 今年も長年、競馬界を盛り上げてきた調教師たちが引退する。スポニチでは2週にわたって惜別連載をスタート。栗東編の今週は、騎手として、調教師として50年以上も馬にまたがり続けた岩元市三師(70)。調教師として名馬テイエムオペラオーを管理した名伯楽は、引退までの時間を惜しむように調教をつけ続ける。

 最後の一日まで、そのスタイルは変わらない。今日も岩元師は管理馬の調教にまたがる。89年の開業から約30年、雨の日も、風の日も、馬に乗り続けた。そこには強い信念があった。

 「自分は乗るのが取りえやからな。モタれるからハミを替えた方がいいとか、乗らんと分からんことって多い。入厩してきた馬は、必ず1回は乗るようにしてきたよ」

 下乗り(騎手見習)として7年を過ごした後、74年に26歳で騎手デビューした苦労人。82年ダービーをバンブーアトラスで制するなど、89年の引退までに578勝。これと決めた相手に食らい付く手綱さばきから“マムシのいっちゃん”の異名を取った。調教師としてクローズアップされるのはG1・7勝のテイエムオペラオーだが、障害で一時代を築いたポレールの雄姿もファンの脳裏に強く刻まれている。「アトラスでダービーを勝てたことは、騎手として最大の勲章。オペラオーで一番うれしかったのは皐月賞かな。オーナーに追加登録料(200万円)を払ってもらって出走した経緯もあったし、それまで調教師としてはG1に縁もなかったからね」と懐かしそうに振り返る。

 もう一つ、忘れてはならないのが愛弟子・和田竜二の存在だ。デビューした96年以降、厩舎はJRAの平地重賞を18勝しているが、全て和田の手綱によるもの。オペラオーが菊花賞で2着に敗れた際、鞍上交代を要求したオーナーに対し、岩元師がかたくなに首を縦に振らなかったというエピソードは語り草だ。「そんなに大げさなやりとりはなかったよ。竹園さんは(鹿児島県垂水町出身の)幼なじみだし、話せば分かってくれる人だから」と笑い飛ばすが、その師弟愛の強さはトレセン関係者なら誰もが認めるところだ。

 1カ月を残し、JRA通算500勝にあと3と迫っているが、全く気負いはない。「生き物相手やから目が離されへんし、日々追われてる。500勝はどうでもいいよ」。そう言って記者の肩を叩くと、うれしそうに愛馬の背中にまたがり、次の調教に向かった。

 ◆岩元 市三(いわもと・いちぞう)1947年(昭22)10月30日、鹿児島県生まれの70歳。74年に騎手デビューし、4917戦578勝。89年に調教師免許を取得して、栗東トレセンで開業した(通算7070戦497勝)。JRA・G1をテイエムオペラオーで7勝(99年皐月賞、00年天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念、01年天皇賞・春)、重賞31勝。

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