谷口キヨコ ネコの飼い主歴25年(2) “猫嫌い”を超えていった「金ちゃん」が教えてくれたこと

[ 2024年4月2日 15:35 ]

金太郎くん12才ごろです
Photo By 提供写真

 【谷口キヨコのごきげん!?SOLOライフ】前回、私が最初の猫の金太郎くんと同居し始めたのは1999年と書きましたが、金太郎くんと出会ったのがその年の年末で、うちに来たのは翌2000年の2月でした。12月生まれの金太郎くんはペットショップに飼われていた母猫の子供で、そのお母さん猫の母乳で育てた方が免疫力がつくから、とオーナーさんが仰ったのでその言葉通りに、お迎えの日を待ちました。

 立春の日に(オーナーさんが縁起をかついでくれた)、金太郎くん=金ちゃんはうちにやってきてくれたんです。ペットショップにお迎えに行ってから、嬉しくて嬉しくてふわふわの金色の子猫を、これから家族になる子猫を、誰かに見せたくて紹介したくて、その頃まだ京都の北山にあったα-Station(エフエム京都の愛称)に連れて行ったことを覚えています。

 手のひらに乗っかるほど小さくてふにゃふにゃの子猫をみんながおっかなびっくりで見つめたり、なでたり…それは私にとって大きな幸せの始まりでした。金ちゃんはみんなに愛されて大きくなり、20年後、私と母の手の中で亡くなりました。

 うちの両親は「犬は好き→なつくし、役に立つ。猫は嫌い→なつかないし、役に立たない」と、本気で思っていて、特に父が猫を嫌っていたのです。だから私が金ちゃんを初めて実家に連れていったとき、父が「なんやこんなもん!」と言って金ちゃんを見るなり怒ったのですが、その父があぐらを組んで座っていたところに、子猫の金ちゃんがみゃあみゃあなきながらトコトコ歩いていって、そのあぐらの中にすっぽりはまってしまったのです。

 怒るわけにもいかず、動くわけにもいかずじっとしていた父。そのうち父がその猫をなでてみると、金ちゃんが気持ちよさげにグルグル言い出したので、父はすっかり気を許してしまい、そのままじっと動かずに父と金ちゃんは20分間ぐらい一体化していました。金ちゃんは猫嫌いだった父をはじめみんなに愛され、特に「猫は嫌い」と言っていた人たちの猫嫌いを超えていったように思います。

 私が金ちゃんが怒るようなことをしなかったからかもしれませんが、金ちゃんが怒ってシャーとなったのを見たことがありません。いつも穏やかで丸っこくて金色で暖かいところが大好きでふわふわな金ちゃん。誰に会っても必ず自分からトコトコと歩み寄っていった金ちゃん。でも私と2人だけのときは適度な距離感でつかず離れず。寝るときは私がベッドに入って少したってから、私の顔をなめてお布団にもぐりこんでくる毎日。

 一度も病気をしたことがなく、亡くなる前年の夏の終わりから急に食欲がなくなり、そして下痢をするようになりみるみる痩せていった金ちゃん。毎週のように病院に連れていき、毎晩家で私が点滴をして…最後の4カ月半は金ちゃんも私も母も大変でした。本当に力尽きた感じで天国にいった金ちゃん。きっとあれが金ちゃんの寿命だったんだね。20歳のお誕生日をお祝いしてお正月も頑張ってくれて、逝ったのが1月11日でした。

 犬以上に猫には個性があるのかもしれませんね。人になつく子、なつかない子。近づいてくる子、さわらせてくれる子、くれない子。個体それぞれの性格もあるだろうし、環境も関係するだろうし。

 とにかく、私にとって金ちゃんは世界一の猫さんでした。友達が金ちゃんが逝ったときに言ってくれた言葉が「あんたがいっぱい愛したから、金ちゃんは天国の入り口の虹の橋で遊びながらあんたを待ってるよ」でした。

 コミュニケーションはしゃべることだけではないことを金ちゃんは教えてくれました。よーく見ていないと機嫌はもちろん、体調さえも分からない。ずっと一緒にいるときでも別々にいたいときもあったり、かまってほしくないときもあったり。飼い主だからといって自分の気持ちを押し付けるのは違うし。ペットと飼い主という存在でも相互的で、だからこそ、その関係が築けるのだ、と。

 小さいからだの金ちゃんが、私にとっては、やってきたその日から大きな存在になりました。今ごろは天国へ渡る虹の橋で遊んでるよね、金ちゃん。

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