谷口キヨコ あの日から13年…これまでどう生きてきたのか、これからどう生きるのか 自分を見つめて

[ 2024年3月12日 18:30 ]

桃太郎くんは3歳半。13年たったら16才半。元気でずっと一緒にいられますように
Photo By 提供写真

 【谷口キヨコのごきげん!?SOLOライフ】13年たちましたね、2011年3月11日から13年。私たちそれぞれにとっては一体どんな13年やったんでしょうか。

 その頃生まれた子供が中学生とか、小学1年生だった子が20歳とか、月日に対するいろいろな表現がありますが、とにかく誰にとっても13年が過ぎました。

 被災した方にとっては、子供も大人も大きな傷を抱えて生きた13年やったと思います。もちろん、その日で時が止まってしまい亡くなった方も、いまだに行方不明の方もいらっしゃる…。なので、生きて13年という月日を重ねてこられたのはとてもありがたいことやと思っています。

 この13年間、被災していない人にもそれぞれ、さまざまなことがありましたよね。私にとっては父が亡くなったこと、それに伴い母に京都に来てもらったこと、その母が認知症になったこと。これは家族のありふれたことなのかもしれませんが、当事者にとってはなかなかヘビーなことの連続でした。

 でも、それも一瞬で家族をはじめいろいろな大切な人や物をなくしてしまうような、そんな理不尽なことではないように思います。3年前に一番の友人を亡くしたとき、悲しくて辛くて、彼女なしでこれからどうしたらよいか分かりませんでした。でも時の流れとともに、もがきながらもそのことを段々と受け入れていく…。喪失を癒やすのは、そういったことの積み重ねのように思います。

 当たり前でいられることのありがたさについて、最近よく言われますが、その「当たり前」があった13年と、ない13年の違いは計り知れないほど大きいと思います。

 父が亡くなっても、友だちが亡くなっても、帰る家(実際に住む家や、やるべき仕事や周りの人たち)があるからこうして生きてこられたような気がします。でも、それもないってどういうことなんだろう。想像さえもできない状況の中で被災された方々はこの13年間生きてきはったんやなぁ、と。

 日常生活って、当たり前の積み重ねですよね。でも、その当たり前も大なり小なり失われていって、それはその人にとっての変化だったり時には成長だったりするとも思います。人生はそんなことの繰り返しだろうから。

 同じ時間経過のはずの13年間を自分はどう生きてきたのか、そして今日を起点にしたときにこれから13年どう生きるのかを考えて、自分を見つめます。

続きを表示

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2024年3月12日のニュース