吉本新喜劇1番人気アキ「芸能生活もう卒業しようか…」 思い詰めた心救ったのは大先輩だった

[ 2024年3月11日 14:25 ]

「吉本新喜劇総選挙」で2年連続1位のアキ
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 吉本芸人に迫る連載「エラい話」が11日からスタート。記念すべき1回目は吉本新喜劇の座長・アキ(54)だ。「吉本新喜劇総選挙」で2年連続1位の圧倒的支持を集める“ザ・センター”だが、芸歴30年の道のりは平坦とはほど遠い岩だらけの山道だった。現在地はまだまだ夢の途中。苦しかった過去にも「いーよー」と優しい眼差しを向けながら、今も挑戦を続けるエネルギッシュな座長に芸人生活を振り返ってもらった。(取材・構成 江良 真)

【アキインタビュー(1)】

 ―2年連続で吉本新喜劇総選挙で1位という快挙達成です。

「ただただ感謝ですねえ。デビューして大阪での10年、東京での10年、新喜劇に来て10年という芸歴30年の票みたいな感じでしたかね。年代や地域などけっこう細かくデータで見ることができるのですが、芸能生活でお世話になったトータルの票が入っていて、きれいごとじゃなくてほんまにファンの方に支えられてきたというのを実感しました」

 ―コメントもたくさん届いたと思います。

 「若い時おっかけでしたとか、結婚して子どもできましたとか。久しぶりやなーという感覚だったり、でもまた新しく好きになってくれた人もいたり。なんか気持ちがつながっている感じがしてうれしかったですね」

 ―経歴を字面だけで見ると、とても順調に見えます。でも、実は本当に苦労されている。新喜劇に入った頃は役がなかった、というエピソードには驚きました。

 「その話ですかー(笑い)。いやー、飲みにいってからの方がいいんやけどなあ(笑い)。マイナスに発言すればいっぱいあります。でも、プラスに発言すれば勉強になったというか、強くなったというか、ある意味感謝してますけどね」

 ―その前に、まずは一度コンビの「水玉れっぷう隊」として東京進出。東京ではファンがほとんどいない状態から、人気を確立されました。ただ、やはり大変だったのではないでしょうか?

 「東京の席の取り合いは凄まじいですから。芸に自信があるというわけでもないんですけど、なんとかいろんな人の出会いに救われてやって来れましたね。イケイケで大阪からやって来たんですが、当時はルミネ新喜劇があって今田耕司さん、東野幸治さん、雨上がり決死隊さん、石田靖さん、130Rさん、木村祐一さんというそんな座長の人らの中で、水玉れっぷう隊でも座長をやらせていただいた。でも、すごかったですねえ、あの人たちは。技術もセンスもすごい」

 ―確かにそうそうたるメンバーですね(笑い)。

 「東京に行ったころはとにかく命がけでした。評判が悪ければすぐに仕事がなくなる。出番もらうために必死ですわ。ルミネ新喜劇も漫才も、生き残るのが大変でした。旬な芸人ばかりが入れ代わり立ち代わり出演していて、その中で“水玉れっぷう隊出演!”となってもシーンですわ。そっからジワジワ話を持っていって、最後はウワーっとならないといけない。半端じゃなかったですね」

 ―ルミネの新喜劇が縮小したこともあって大阪の新喜劇への移籍を決められたのだとは思いますが、東京で実績を残されたのに大阪では大歓迎とはいかない状況でした。

 「半年は一切役がつかなかったんです。トータルで8年間、自分では何もできていない感覚でした。腐るのはダメだと自分に言い聞かせながら、お寺や神社もめっちゃ行きました」

 ―え?それは意外な…神頼み?

 「いやいや(笑い)。自分を見つめ直すという感じです。何があかんねや、何が足らんねやという感じで。神聖な雰囲気の場所で自問自答するために行ってました。そういうところで冷静になると、少しずつ見えてきたようには感じましたね。新喜劇というのはチームプレーやから、イケイケな個人プレーは良くないねんなとか、優しくないとあかんなとか、ピッチャーばっかりもあかんし、ベンチにも人はいるし、新喜劇にはいろんな人がおるんやなとか。ただ、力強く言えるのは舞台に答えがある、なんですよね。これだけは絶対と思っていました」

 ―しかし、気持ちの保ち方を変えたとしても、8年全然だとモチベーションを保つのは大変ですね。

 「その間、辻本さんに拾われたのは大きかったですね。ぼくのやることに理解があって、舞台でもいろいろ試させていただきました。今では感謝しかないですね」

 ―転機と思えたのはいつでしょうか?

 「2年前に間寛平師匠がGMになったときです。実はギリギリまでいろんなことを考えてたんです。残りの人生をどう戦って、どう芸能生活を卒業しようか。どう残していこうかとか、いろいろあの手この手考えていました」

 ―そこまで考えていらっしゃった。

 「寛平さんがGMになったときに、新喜劇をゴロッと変えなあかんとおっしゃった。どう変えるとか細かいことはわからないけど、とにかく変わるんだ!と思った。じゃーおれ今までめっちゃストックある!東京の10年、その前にも10年あるんですけど、この8年と合わせて28年で武器はようさんあるわ!となって、パッ明るくなった気がしました」

 ―寛平さんは109人いる座員のモチベーションを上げることに注力されました。劇場やメディアを駆使して、座員がアピールできる場をつくろうと頑張っていらっしゃいます。その代表格が昨年座長に就任したアキさんかと思います。

 「そうかもしれないですね。あれ?いけるぞ?信じてよかった。舞台に答えはあった。そんないろんなものが答え合わせできるようになったんですよね。自信はめっちゃあったんで、寛平さんがGMになるとなった時、来たんちゃう?と思いました(笑い)」

 ―現在はある種の達成感は感じていらっしゃるのでしょうか?

 「いやいや、全然。まだまだスタート地点に立ったばかりです。8年間いろんなことを考えてきて、やりたいことがもういっぱいあるんです。でも、今年で55なんで、60とかになったら病気もしたりするでしょ?」

 ―いやいや、何の根拠もないですがアキさんなら大丈夫な気が。
 「(笑い)とはいえ、病気してもすぐ治る年齢でもないので、実は5年くらいでちゃんとかなえたいと思っている夢があるんです」

=(2)に続く

 ◇アキ(あき)1969(昭44)8月22日生まれ。大阪府岸和田市出身の54歳。92年、ケンとお笑いコンビ「水玉れっぷう隊」を結成し吉本興業入り。ダウンタウンらを輩出した心斎橋2丁目劇場で力をつけた。コンビで東京進出し、14年にアキだけが大阪の吉本新喜劇に移籍。昨年3月、吉本新喜劇の新座長に就任した。「JOY! JOY! エンタメ新喜劇」など自主公演も多数。「水玉れっぷう隊」も並行して活動している。

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