上柳昌彦 早朝の帯番組で7年半 「僕の居場所はスタジオ」

[ 2023年10月9日 09:00 ]

日比谷公園に臨むニッポン放送のベランダで笑顔を見せる上柳昌彦
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 【牧 元一の孤人焦点】早朝に目覚めるとラジオのスイッチを入れる。聴くのはニッポン放送「上柳昌彦 あさぼらけ」(月曜前5・00~6・00、火~金曜前4・30~6・00)。声のトーンが良い。話のテンポが好ましい。還暦を迎えた自分の耳によくなじむ。

 東京・有楽町の同局に上柳昌彦(66)を訪ねた。

 「結構、声のことをほめていただくのですが、『そうですか?』と思います。照れくさい。あの時間に起きる人はいろんな事情があって『やれやれ』と思っているでしょうから『お互いさま』と思えるようなトーンですね。そっと横にいる感じ。しゃべるスピードはだいぶゆっくりになってきたかな。番組を始めた7年半前は、短い時間にあれもこれも詰め込もうと思って、もっと早口だったと思います」

 番組が始まったのは2016年3月末。当時編成局長だった檜原麻希社長から平日早朝の帯番組の打診を受けた。

 「あの頃、帯番組を持っていなくて『僕はこのまま終わっていくのかな』と思っていました。檜原さんの話は『実験的に、スタッフは最少人数で、放送作家とADは付けずに、ディレクターとミキサー、しゃべり手の3人だけでやってほしい』ということでした。それは面白いと思って『ぜひやらせてください』と答えました。いただいたメールや新聞の全てに目を通すのは大変ですが、全て自分でやっている気持ちになれるので、いいな、と思いました」

 ADがいないから、放送に関する雑用を自分でこなさなくてはいけない。構成作家がいないから、番組で話す内容を自分で考えなくてはいけない。

 「受験生みたいに『オールナイトニッポン0』を聞きながら新聞を切り抜いています。ディレクターも副調整室で切っている。紹介する新聞のネタの基準は基本的に僕がへえ~!と思うこと、リスナーにへえ~!と思ってもらえそうなことですね。『心のともしび』というコーナーの時に2人でネタを持ち寄って、紹介するものを決めています。番組で話すネタは、いただいたメールをきっかけにしているものが多いです。メールを読んで、僕の引き出しに入っていたものを出していく感じ。僕の後ろに優秀な放送作家の方々(リスナー)がたくさんいて支えてくれています」

 午前1時20分に起床、午後8時前に就寝する日々。タクシー通勤の途中にネットでニュースを確認しながら午前2時30分頃にニッポン放送に入る。局入り後の打ち合わせはほとんどない。

 この7年半の間には大病も経験した。2017年に前立腺がん、昨年は下垂体腺腫。それらを経て心境が変化した。

 「大先輩の大沢悠里さんが『病気療養中の方も、今日もお聴きください』とおっしゃっていたのを僕も猿まねでやっていましたが、その言葉の重みが分かるようになりました。入院中、早朝に真っ暗な病室から外を見ていると、だんだん明るくなってくる。看護師さんが巡回の準備を始める音が聞こえてくる。その光景がフラッシュバックします。この番組にも療養中の方からたくさんメールが届きます。脳梗塞の方、脳卒中の方、人工透析を受けている方、大腿骨骨折の方…。中には働き盛りの方もいる。僕は入院中に星野源さんのエッセーを読んだんです。あの方はくも膜下出血の手術を2回受けたのに今はあんなに元気にやっている。だから僕も絶対に大丈夫だと考えました。この番組を聴いていただいている療養中の方々にもそんな気持ちになっていただけたら」

 現在66歳。定年を過ぎて久しいが、現役感が強い。

 「『僕の居場所はスタジオなんだ』という思いが強くなっています。ニッポン放送に若い新入社員が入ってきている。フリーアドレスで席が決まっていないから誰が誰だか分からない。若いディレクターがいっぱいいる。どう考えても自分がいちばん年上で、居心地がいいのがスタジオになってくる。居場所があって良かったと思うし、少しでも長くここにいられたらいいと思います。笑福亭鶴瓶さんは『オレなんかもう年だから』というのが嫌いですけど、僕もそういう感じ。この番組もどんどん若い人に聴いてもらいたいし、僕も若い人の話を聴きたいです」

 意気軒高な先輩の姿はわれら後輩の励みにもなる。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局総合コンテンツ部専門委員。テレビやラジオ、映画、音楽などを担当。

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