長渕剛、母への思い語り目に涙 名曲「STAY DREAM」の誕生秘話も明かす

[ 2020年1月24日 22:48 ]

長渕剛
Photo By スポニチ

 歌手の長渕剛(63)が24日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ スペシャル」(後8・00)に出演。亡き母・マス子さんとの思い出を目に涙をためながら語った。

 番組では幼少期から母とともに歩んできた長渕の人生が紹介された。長渕は生後28日目に呼吸が止まり仮死状態に。母が病院に担ぎ込み、諦める医師に頼み込んで注射を打ってもらうと、奇跡的に息を吹き返したという。「30歳手前で(担ぎ込まれた)病院に行って。『お母さんの一声がなかったらこの世にいないかもしれないね』って先生がおっしゃって」と長渕。「(幼少期は)まぁ、病弱でしたね。貧しかったんだと思いますね。ミルクを買うお金ががなくて、米のとぎ汁を飲んで」と振り返った。

 1980年にアルバム「乾杯」をリリース。絶頂期を迎えつつあった翌81年に、母が末期の大腸がんと診断され、長渕は治療を頼むために「東京の病院を駆けずり回った」という。手術を行った母の看病に努める日々だったいい、「痛い痛いって言うんですね。手を当ててあげるんですね患部に。切るよりも手当てしてあげればよかったと。もっと早くに…」と目に涙をためて語った。

 手術から3年後に母は若年性認知症に。自身のスタッフとの軋轢(あつれき)も抱え、心身共に限界だった。「もう(歌を)やめたかったですね。27歳、そのとき」と吐露した。失意の中で自宅の電子ピアノを叩いた。「死んじまいたいって叩いたんですよ。そしたら『ほどの~』って出てきたんです。そこから畳みかけるように『苦しみや悲しみ』って。夢を描けSTAY DREAMだって、1分か2分で出来上がったんですよ」。名曲「STAY DREAM」誕生秘話を明かした。

 母は2000年8月に亡くなった。所用で海外に滞在した長渕が緊急帰国し、病院に直行した30秒後に息を引き取ったという。スタジオの長渕は、「会いたいね、うん会いたい。なんで人間ってこんなに泣くんだろうって。二度と会えないってことだね。痛切に思う。だけどそれが全て自分の心に宿る瞬間がある。そうすると孤独じゃないっていうのかな。そのことを一番教えてくれたのかな」と、かみしめるように話していた。

続きを表示

2020年1月24日のニュース