中村芝翫さん死去…橋之助「鏡が見られなくて…」

[ 2011年10月11日 06:00 ]

笑顔を見せながら故人とのエピソードを話す(左から)中村児太郎、中村橋之助、中村勘三郎

 古風で端正な女形として知られた歌舞伎俳優で人間国宝の中村芝翫(なかむら・しかん、本名中村栄次郎=なかむら・えいじろう)さんが10日午前0時50分、肝不全のため都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。同日午後6時から東京都内の自宅で仮通夜が営まれた。競馬好きだった芝翫さんのため、遺族は棺に入れる折り紙の馬を約2000個準備。次男の中村橋之助(46)は「死を認めたくなくて僕だけ折ってない」と目に涙を浮かべた。

 京都・南座での公演を終えて帰京した橋之助は仮通夜開始前、兄・福助(50)の長男・児太郎(17)、義理の兄・勘三郎(56)とともに実家前で会見。目に涙をため「2人でよく酒も飲みました。“親父っ子”だったから、体のどこを触っても親父を感じます」と話した。

 9日夜、危篤の知らせが入った。福助は名古屋から午後11時すぎに駆けつけたが、橋之助は帰京できなかった。妻でタレントの三田寛子(45)に、芝翫さんの耳元に携帯電話をぴたりと当ててもらい「パパ、パパ、頑張って!」と呼び掛けた。「けさ化粧をしたとき、ああ顔が父に似てるな、手も似てるなと。もう鏡が見られなくて…」と声を振り絞った。

 芝翫さんは9月1日に新橋演舞場での「秀山祭大歌舞伎」で「沓手鳥(ほととぎす)孤城落月」の淀君を演じたのを最後に、翌2日から都内の病院に入院。児太郎ら孫に囲まれて過ごした。生前、「棺には花なんか入れないでほしい。入れたら化けて出るよ」と伝えていたため、親族は病室で折り紙で馬を作った。その数は計2000個。ただ一人、橋之助だけは折り紙に手を付けなかった。「でももう折らなきゃいけないんでしょうね」と寂しそうにつぶやいた。

 ◆中村 芝翫(なかむら・しかん)1928年(昭3)3月11日、東京都生まれ。89年に紫綬褒章受章、日本芸術院会員に。96年、人間国宝に認定。06年に文化功労者に。08年、日本俳優協会会長に就任。

 ◇中村芝翫さん葬儀日程

【葬儀・告別式】 27日(木)午後2時
【場所】 青山葬儀所=東京都港区南青山2の33の20=(電)03(3401)3653
【喪主】 妻雅子(まさこ)さん
【葬儀委員長】 大谷信義氏(松竹会長)

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