「ひょうきん族」プロデューサー・横沢彪さん死去

[ 2011年1月10日 06:00 ]

フジテレビ、吉本興業などで活躍した横澤彪さん(左)

 フジテレビの名物プロデューサーとして「笑っていいとも!」「オレたちひょうきん族」などを手がけた横澤彪(よこざわ・たけし)さんが8日、肺炎のため亡くなった。73歳。群馬県出身。80年以降頭角を現し、「バラエティーのフジ」に路線転換する立役者として活躍。昨年末までインターネットサイトでテレビ評を連載するなど、最後までテレビを愛していた。

 視聴率が低迷を極めた70年代のフジ。「母と子のフジテレビ」に代わり81年、「楽しくなければテレビじゃない」というキャッチフレーズを打ち出した。その中心に立ったのが横澤さんだった。

 笑いを偏重するあまり「軽チャー(カルチャー)路線」と揶揄(やゆ)されたこともある一方、82年にフジはゴールデン、プライム、全日すべてでトップとなる年間視聴率3冠王を獲得。視聴者の大きな支持を得た。

 象徴的な番組は81年放送開始の「オレたちひょうきん族」。当時、1強だったTBS「8時だョ!全員集合」のドリフターズに、ビートたけし(63)明石家さんま(55)ら、当時まだ若手だった芸人を中心に対抗。稽古を重ねたコントの手法から脱し、アドリブを前面に出した「タケちゃんマン対ブラックデビル」など斬新なコントで視聴率を逆転、「8時だョ!全員集合」を終了に追いやった。

 編成局ゼネラルプロデューサーに昇進するも92年、当時の鹿内宏明会長解任余波でフジを退社。その後は「笑いの総合商社」吉本興業を新天地に活躍。東京支社長や専務取締役を歴任し、05年に相談役を退任した。

 その後はフリーで活動。インターネットのニュースサイトで連載していたコラムは、昨年12月30日まで執筆。「M―1の決勝戦を見ていても、これからちゃんとやっていけるのはいなかった」「たけし、タモリ、さんまらを乗り越える中堅が出てきてほしい」と、お笑いの将来に思いを巡らせていた。

 体調面では07年に悪性リンパ腫を告白。吉本在籍時の末期にはすでにかなり体調を崩していた。

 知人にあてた今年の年賀状では、住み慣れた東京都目黒区の一軒家から東京・広尾のバリアフリーのマンションに雅子夫人とともに転居することを報告。「夫婦2人で住む、終の棲家(ついのすみか)です」と記していた。添えられたイラストは、トラックに乗った猫を追いかけるウサギ。卓越したユーモアのセンスを最後まで見せ続けた。

 ◆横澤 彪(よこざわ・たけし)1937年(昭12)12月15日、群馬県生まれ。東大文学部を卒業し、62年にフジテレビに入社。74年に「ママとあそぼう!ピンポンパン」で初めてプロデューサーを務めた。「オレたちひょうきん族」の人気コーナー「ひょうきん懺悔(ざんげ)室」には神父役で出演。95年に同局を退社して吉本興業に入社し、東京本社代表、専務を歴任。

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2011年1月10日のニュース