イモトアヤコはなぜ大幅に遅れを縮めることができたのか

[ 2009年9月20日 09:20 ]

「24時間テレビ」チャリティーマラソンのプロデューサー、中村博行氏

 「24時間テレビ」チャリティーマラソン(日本テレビ)の中村博行プロデューサー(39)が今年のイモトアヤコの激走を振り返る。第2回は当初の計画より最大1時間半の遅れをなぜ15分の遅れにまで短縮できたかに迫る。(全3回)

24時間マラソンプロデューサーが明かす「残り1・19キロ」

 29日午後7時過ぎのスタートから走り続けて、日付が変わった30日早朝。当初の予定より、最大で1時間半の遅れが生じていた。なぜ遅れは生じたのか。

 「最初のスタート地点から来ると山があって、アップダウンが激しいので、ひざが怖いんですね。下り坂は危ないから歩いた。イモトとしては行きたかったんだけど、思ったより怖いから心理的にペースが上げられなかった」

 「前半1キロ7分半くらいでいけるだろうと見込んでいたのが、全然ペースが上がらなくて1キロ8分くらいだった。前半で稼げる時間がなかったわけですよ。前半(26時間のうち)半分の時間で5分の3くらいきて、疲れてペースが上がらないので疲れを考慮して5分の2くらい進むイメージだったんですけど、全然ペースが上がらなくて。当初の計画表で、この時間に着くはずだっていうよりは(最大で)1時間半遅れたっていう意味ですね」

 スタッフが綿密にゴールまでのペースを刻んでいる計画表。このペースでいけば時間内にゴールできるという心のよりどころは、コースの状況や前半後半によって同じ距離でも設定時間は違っていた。その予想通りに進まなかったのがイモトの走りだった。

 それではなぜ、スタートからペースが上がらなかったイモトがなぜ最終的に8時57分の中継終了からわずか15分の遅れでゴールインできたのだろうか。中村プロデューサーは人並み外れた精神力を挙げた。

 「彼女は(ペースが)上がらなかったけど、後半も下がらなかった。ものすごいイーブンでいったから。後半はやばいやばい、このままだと遅れるって言ったから、我々が想像したよりペースが落ちなかった。本人の頑張りですよ。遅れたら大変だと。どうしても時間に入るんだという本人の強い意志に限ると思います」

 「ラスト6時間くらい前から、時計もろくに見れてないし、ペース配分の細かい表もう考える力はなかったと思います。“このままだと間に合うんですか”って言われて、このままだとちょっと入らないかなって言ってあげると、“まずいから、まずいから”と言って急ぐんです。後半6、7時間は細かいことを考える能力はなかったかな」

 極限の精神状態の中、最後はペースアップした。本人の意志で打った痛み止め注射の効果も大きかったが…。

 「痛みがなくなるからペースは上がる。でも長続きするものではないですから」

 フルマラソン3本分。126・585キロの壁。例年なら取っていた1時間ほどの大休憩。今年は当初の計画表から最長の休憩は15分だった。体の痛みは消えても精神的なつらさは変わらなかった。

 「寝られないから、めちゃめちゃきつかった。例年は30分から1時間半、最低でも20分は寝てる。伴走者も寝るようにしてます。寝なきゃちょっとしんどいですね。それがゼロだったからな…。本当にゼロですからね。体力を休める場所がなかった」

 「これはきつかった。本当にきつかった。もうきつい。それでも(時間に間に合うかギリギリだったため)最後は後半15キロくらい休憩を全部飛ばしましたからね。飛ばせばいけるって言って。時間にして2時間強くらいかな」

 体を大きく休める休息がない状態で走り続けた126キロ。イモトの精神力がいかに強いかうかがえる。このつらい状況下、どのようなことを話して乗りきったのだろうか。

 「13キロきたら10分の1来た。20キロきたら6分の1来たっていうのは話していた。ちょっとずつ目標設定をしないとね。でも、どんどんしんどくなってくるだけでしたね。イモトは時間内に完走することしか考えてなかった」(つづく)

 ▼中村博行(なかむら・ひろゆき) 1970年9月13日生まれ。福井県出身。京都大学卒。93年日本テレビ入社。番組制作部門に配属。「知ってるつもり?!」「とんねるずの生だら!!」などのレギュラー番組に携わる一方、特番として97年から「24時間テレビ」チャリティーマラソン制作スタッフを務めている。著書に「準備は3日間だけ!練習ゼロで完走できる非常識フルマラソン術」(光文社)。  

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2009年9月20日のニュース