「釜山港へ帰れ」作詞の三佳氏死去

[ 2009年3月11日 06:00 ]

07年3月、製作した新曲のレコーディングに立ち会った三佳令二氏(左)と故川内康範氏

 「釜山港へ帰れ」「離別(イビョル)」などで知られる作詞家で音楽プロデューサー、「ドーム音楽出版」社長の三佳令二(みよし・れいじ、本名名和治良=なわ・はるよし)氏が10日午前2時10分、原発不明がんのため都内の病院で死去した。80歳。東京都出身。

 35年間連れ添った敬花夫人(57)によると、7年前に胃がんが見つかり、胃の全摘出手術を受けた。その後も酒とたばこを手放さなかった。一昨年には盟友の故川内康範氏とともに俳優三夏紳の新曲を制作。「三佳がやるというから…」と川内氏が最も信頼を置いていた制作者だった。しかし、昨年2月に複数個所への転移が発覚。入退院を繰り返しながら放射線治療を受けた。同10月23日の誕生日に開かれた「傘寿を祝う会」では「三佳令二の名付け親の川内さんが88歳で亡くなったから、それより1歳でも長生きすることが恩返しです」とあいさつしていた。先月末には、知人のプライベート盤のレコーディングに参加。衰弱していたが、歌唱指導のため福島県まで足を運び、敬花夫人も「最期まで立派でした」と話した。

 三佳氏は慶応大卒業後、日本コロムビアを経て東芝EMI(当時)で越路吹雪、加山雄三、水原弘、井沢八郎、李成愛らを担当。フリー転身後も八代亜紀の「舟唄」「雨の慕情」の制作にかかわった。また「釜山港…」など韓国作品の日本語詞の多くを作詞、日韓交流に大きな役割を担った。

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2009年3月11日のニュース