作曲家の遠藤実さん死去…千らが最期みとる

[ 2008年12月7日 06:00 ]

今年4月23日、北山たけしに提供した「希望の」の発表会で元気にあいさつした遠藤実さん

 「北国の春」「高校三年生」など5000曲以上を作り、戦後歌謡界を代表する作曲家の遠藤実(えんどう・みのる)さんが6日午前10時54分、急性心筋梗塞(こうそく)のため東京都中央区の病院で死去した。76歳。東京都出身。03年に大衆音楽の分野で初めて文化功労者に選ばれた。人材育成にも励み「人情の作曲家」と親しまれた。会長を務める日本作曲家協会主催の「日本レコード大賞」(30日)を目前の悲報に歌謡界は大きな衝撃を受けた。

 最期を親族とみとったのは、アジア各国で愛されている「北国の春」を一緒に作った作詞家のいではく氏(67)と歌った愛弟子の千昌夫(61)。千は、危篤状態になった前日夜から訪れており「1カ月半ほど前に倒れてから先生はずいぶん病気と闘っていたので。苦しまずに(亡くなり)ホッとしたような気もする」と思いを明かした。
 20年前に心臓バイパス手術を受けた遠藤さん。たばこは吸わず、酒も「ワインをグラス1杯も飲まないほど」(関係者)だった。いで氏によると、10月17日に横浜のパーティーで体調を崩し入院。翌18日に再びバイパス手術を受けたが、一時心肺停止になるなど術後の経過は思わしくなかった。それでも今月1日から食事ができるまでに回復したが、5日夜に急変。いで氏は「レコード大賞に出席する話もしていたくらいなのに…。私が作詞した作品の8割は遠藤先生の曲。命が半分なくなった感じだ」と声を落とした。
 数々の名曲は、前半生の困窮の日常から絞り出すように生まれた。疎開先の新潟で育った時の郷愁をつづった「北国の春」をはじめ、経済的事情で断念した学業へのあこがれを託した「高校三年生」、立ち上げたレコード会社「ミノルフォン」の経営難の中で浮かんだ「こまっちゃうナ」
 座右の銘も「春の来ない冬はない」。少年期に極貧の中で見た疎開先の自然が豊潤なメロディーの源という。数々の名曲だけでなく、歌い手を育てた功績は大きい。「歌手が鉄なら作曲家は鍛冶(かじ)」と例え、千をはじめ、舟木一夫(63)、小林旭(70)、杉良太郎(64)、森昌子(50)らを表現力あふれる歌手にした。千は「最後に先生に、われわれの歌手としての人生をつくっていただいてありがとうございましたと伝えました。“歌は心で歌え”という先生の遺志を継いで歌っていきます」と誓った。通夜はあす8日、葬儀は9日にいずれも近親者のみで行い、後日に日本作曲家協会の協会葬としてお別れの会を開く予定。喪主は長女由美子(ゆみこ)さん。

 ◆遠藤 実(えんどう・みのる)1932年(昭7)7月6日、東京都生まれ。疎開先の新潟県の高等小学校高等科を卒業後、上京して独学で作曲を学んだ。57年、藤島桓夫が歌った「お月さん今晩わ」で売れっ子に。77年の「北国の春」はアジア各国で歌われる国際的ヒットとなった。民謡と歌謡曲を融合した「アキラのズンドコ節」など快活なリズム歌謡も得意とした。94年、日本レコード大賞功労賞を受賞し、遠藤実歌謡音楽振興財団を設立。音楽資料館「実唱館」(新潟市)を開設。05年から日本作曲家協会会長を務めていた。

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