阪神ドラ6・津田 中学時代から目指す「負けない投手」 新調したグラブに刺しゅう

[ 2024年1月16日 05:15 ]

阪神・津田
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 プロ野球12球団のルーキーは入寮を終え、合同自主トレをスタートさせた。話題の新人選手を紹介する「24年版 球界新士録」。連載第1回は昨年、38年ぶりに日本シリーズを制覇し、球団史上初の日本一連覇を目指す阪神から――。

 【24年版球界新士録(1)】最速152キロ右腕の津田には座右の銘がある。「負けない投手」。中学時代に在籍した「志貴ボーイズ」の当時の広瀬亮監督から「野球ノートを交換する時に必ず書かれていた」という言葉を、新調した阪神カラーの黄色のグラブに刺しゅうで刻み、新人合同自主トレに臨んでいる。

 志貴ボーイズの1学年先輩には、22年のオリックスドラフト1位左腕・曽谷がいた。津田は2年春の全国大会1回戦で、曽谷を差し置いて先発。競争に勝つために、練習日は2時間早くグラウンドに姿を現し、シャドーピッチングなどを繰り返した。広瀬監督は「本当に投げることが大好きな子」と当時を振り返る。だが、結果は1回KO。打ち込まれた右腕に指揮官が野球ノートを通じて贈ったのが「負けない投手になりなさい」という言葉だった。

 「“人に勝とう″なんておこがましい。でも、負けるな、と。10本ヒットを打たれても、ホームベースだけは踏ませない。“負けない投手になれ″と、卒業までずっと言い続けた」。津田は卒業後もこの言葉を胸に、地道な努力を続けた。高田商時代は最速134キロだったが、大経大に進むと2年春の関西六大学リーグ戦で150キロを計測。4年秋には防御率1・29で最優秀防御率賞を獲得し、「負けない投手」を体現した。

 プロでは「開幕1軍を目指したい。そこから1年間1軍にいられるようにしたい」と目標を掲げる。負けないことを追い求め、1軍の舞台で不敗神話の主役を演じてみせる。 (松本 航亮)

 ◇津田 淳哉(つだ・じゅんや)2001年(平13)8月27日生まれ、奈良県大和郡山市出身の22歳。片桐小2年時に小泉ファイターズで野球を始める。郡山南中では志貴ボーイズに所属。高田商では2年秋から背番号9でベンチ入りし、3年夏から投手も務める。大経大では1年秋にリーグ戦初登板し、リーグ戦通算10勝。50メートル走6秒7、遠投110メートル。1メートル78、84キロ。右投げ右打ち。

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