四国銀行 4年ぶり19度目の都市対抗出場 病気から復帰の柴田主将「野球を頑張ることで希望に」

[ 2020年10月5日 05:30 ]

都市対抗野球四国2次予選   四国銀行3―1JR四国 ( 2020年10月4日    春野 )

4年ぶり19度目の都市対抗野球大会出場を決めた四国銀行・柴田一路主将(右端)
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 試合終了の瞬間に胸中を支配したのは「安堵」の2文字だった。4年ぶり19度目の都市対抗本戦出場を決めた四国銀行。主将を務める柴田一路外野手(25)は中堅の守備位置から駆け足で、マウンドでの歓喜の輪に加わった。

 「うれしいです。自分が入社してから初めての全国。これから先は未知の世界ですが、今のメンタルなら何があっても動じることはない。あれより怖いものはないですから」

 予期せぬ病魔に襲われたのは、昨年12月25日だった。勤務を終え店舗を出たことろで、意識を失って倒れた。高知県内の病院に緊急搬送され、そのまま3日間入院。脳波、CT、MRIによる精密検査を続けた結果、脳に微妙な影があることを指摘された。

 振り返ってみると、自身の肉体からは、それとなくメッセージが発信されていた。キャプテンを任されて臨んだ入社3年目の昨シーズン。直接の因果関係は不明でも、定評のあったスローイングが度々すっぽ抜けた。「ボールは見えていたのに、体にうまく力を伝えられていなかったというか…」。スイングしていても、イメージと動きが一致しないことがあったという。

 年が明けた1月7日には、脳の左側に腫瘍があることを医師から伝えられた。3月中旬から2週間は、京都大学医学部附属病院に検査入院。5月13日に同院で9時間に及ぶ覚醒下腫瘍摘出手術に臨むことが決まった。

 「生死に関わる手術。恐怖心は当然ありました。最後は“これで死んでも構わない”という心境で、手術を受けました」

 手術中は麻酔から覚醒させられ、言語機能、運動機能、感覚機能などが保たれていることを確認しながらオペが進んだ。「開頭されて意識が朦朧とした中で、喋れるかを確認したり、足首を前後に動かしたりしていました」。腫瘍は全て取り除け、手術は成功。確定診断は悪性脳腫瘍だったが、悲嘆に暮れることなく、現実を真正面から受け止めた。

 「病気になったことは前向きに受け止めています。考える時間を神様から与えてもらったというか。キャプテンをやらせていただいて、これまでは“自分が引っ張らなアカン”と思い込んでいたんですけど、そうじゃないことに気づけました。今まではただただ、がむしゃらにやっていたけど、今は体のことを考えて良い意味で抜くことも覚えました。無理をすることが、必ずしも正解ではない。自分を俯瞰して、野球を見られるようになったと思います」

 腫瘍が言語野を浸食していたため術後の1カ月は言葉を発することができなかったが、運動機能にはほとんど影響が出なかった。入院中も病室にマットを敷いて体幹トレを行うなどのリハビリに励み、7月6日にはチームに合流。同月下旬からは全体練習に参加すると、8月10日にあった岡山商科大とのオープン戦で、実戦復帰を果たした。「140キロぐらいのボールを見たとき、そこまで速さを感じなかった。これならいけるかな、と」。大手術から3カ月足らず。順調すぎる回復を後押ししたのは昨年結婚したばかりの妻・あすかをはじめとする家族の献身的な支えがあったからだ。

 「これまでは自分が野球をすることで誰かのためになっている感覚はなかったですが、そういうことも背負って練習、試合に臨めています。同じ経験をされている方、僕よりもっと辛い経験をされているがん患者の方もいる。おこがましいですが、自分が野球を頑張ることで、そういう方の希望になろう、と思っています」

 4日に行われたJR四国との代表決定戦は、2番中堅としてフル出場。安打こそなかったが、送りバントを一つ決めた。柴田は中川毅監督をはじめとするチーム関係者への感謝とともに、揺るがぬ決意を言葉に込める。

 「監督からすれば使いづらかったと思う。チーム状況もあり自分が出ざるを得ない状況になりましたが、よく決断してくださったと思います。本大会はアマチュア最高峰の舞台。レベル、雰囲気を味わってみたい。格上ばかりのチームだと思いますが、緊張感を持って粘り強く食らいついていきたい」

 大病を克服して、ようやくたどり着いた大舞台。野球をできることの喜びを噛みしめ、柴田が東京ドームで躍動する。

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