昌平、初の決勝進出 「勝負強い」吉野哲がダメ押し弾「思い切り振り抜いた」

[ 2020年8月23日 05:30 ]

埼玉大会準決勝   昌平5―3浦和学院 ( 2020年8月22日    メットライフD )

<浦和学院・昌平>9回2死一塁、2ランを放ち、バットを放り投げ雄たけびをあげる吉野哲(撮影・西海健太郎)
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 歴史の扉をこじ開けた。昌平(埼玉)はタイブレークの延長9回。併殺崩れの間に1点を勝ち越し、なお2死一塁で、5番・吉野哲平(3年)が放った打球が左翼席上段で弾んだ。

 「初球のスライダーの後、“思い切りいってこい”というサインを出してくれた。思い切り振り抜きました」

 2回に2点を先制したが、最終7回に県最多夏の甲子園出場13度を誇る浦和学院に追いつかれ、延長戦に持ち込まれた。吉野哲はここまで無安打で、喫した2三振はいずれもスライダーだったが「勝負強いのは自分で分かっている」。プロ注目の右腕・美又王寿(3年)の117キロスライダーにバットを一閃(いっせん)し、初の決勝進出をつかみ取った。

 夏は18年の北埼玉大会4強が最高成績。「浦学を倒して、昌平の歴史を変えよう」。27年前の夏、自身も選手として5回戦で浦和学院に敗れ、涙をのんだ昌平OBの黒坂洋介監督はそう言って選手たちを大一番の舞台に送り出した。勝ち越し点につながった千田泰智主将(3年)の三盗はノーサイン。指揮官は「監督なんていらないぐらい」と選手たちのプレーに目を細めた。

 今大会の準決勝、決勝は西武球団の無償提供により、メットライフドームで実現。82~91年の夏には西武球場で行われていたが、ドームになってからは初めてだった。「3年間過ごしてきた監督を胴上げしたい一心。特別な大会で名前を残せたらいい」と吉野哲。勝って、笑顔で高校野球を終える。 (花里 雄太)

 ◆吉野 哲平(よしの・てっぺい)2002年(平14)10月8日生まれ、埼玉県三郷市出身の17歳。中学時代は草加ボーイズでプレーし、2年時に全国大会に出場した。昌平では1年春からベンチ入り。1メートル70、79キロ。右投げ右打ち。

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2020年8月23日のニュース