【内田雅也の追球】幸せの“雨への雪辱”――2年前の悪夢払った阪神

[ 2019年10月8日 08:00 ]

セCSファーストステージ最終戦   阪神2―1DeNA ( 2019年10月7日    横浜 )

<D・神>CSファイナル進出を決め、矢野監督(左)とハイタッチをかわす藤川(撮影・大森 寛明)
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 雨が降るほどに記憶がよみがえった。

 特に9回裏になって、激しさを増した。土砂降りと言える雨だ。阪神には1点リードを守る、長い長いイニングだった。途中、マウンドの土を入れ替える間は、あの夜の阪神園芸グラウンドキーパーたちの献身を思っていた。

 苦い思い出である。2年前、2017年のクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ。阪神は同じDeNAを相手に甲子園で戦っている。

 特に強い雨が降った第2戦、グラウンドは泥田のようだった。それでも試合は決行・続行され、阪神は敗れた。翌日は同じような雨で中止。第3戦の午後になってようやく雨は上がり、そして敗れた。

 特にひどい状態だった第2戦、当欄で書いている。<ふだん同行している阪神が敗れたため、物申すのではない。こんな悪コンディションで試合を強行してはならない>。実際、野球ができる状態ではなかった。選手にも、スタンドのファンにも、プロ野球を見せる状態ではなかった。

 CS敗退翌日にはこう書いた。球団首脳から新しいスローガンを検討に入ると聞いていた。<アメリカでは「野球では勝てば栄誉が得られ、負ければチーム愛が生まれる」と言われる。悔しさが愛を生むのだろう。闘志や悔恨や愛もスローガンに盛り込みたい。今の気持ちを忘れないために>。

 あの雨と悔恨は誰もが覚えていよう。今の監督・矢野燿大は当時作戦兼バッテリーコーチ。多くの選手たちが残っている。この夜の雨のCS、DeNA戦は雪辱戦だった。

 そして、勝った。あの雨の悪夢を振り払ったのである。

 今季途中のクローザー復帰後は初のイニングまたぎ、最後の8、9回を締めた藤川球児の気概に恐れ入る。

 決勝点を生んだのは植田海の足だ。代走で出て二盗。暴投で三進し、浅い中飛でも本塁を奪った。

 先取点口火は外角球を二塁打、決勝点口火の死球を得た高山俊の踏み込みには気迫が見えた。

 無死二塁から胸元の難球を転がした梅野隆太郎のバントもあった。

 犠打や犠飛とはよくいったものだ。全員が「チームの勝利のために」と自らを犠牲にしていた。

 矢野が監督就任時から繰り返す「誰かを喜ばせる」は実は最高の幸せの形である。<あなたが幸せであることが誰かを幸せにしている>と作家・喜多川泰『書斎の鍵』(現代書林)にある。

 なぜ幸せにならないといけないのか。こんな哲学的な問いにも、こうある。<自分の幸せがたくさんの人を幸せにするにもかかわらず、自分は大変なんだとか(中略)ほかの人が幸せになる機会すら奪って生きている>。

 だから猛虎たちはがんばる。そして、あきらめない。自分たちの、そして多くの人びとの幸せのために戦っている。これが強みとなっての進撃だろう。=敬称略=(編集委員)

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