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五輪野球をアマチュアに返して――日本一監督の痛切な願い

プロアマ混成チームでシドニー五輪に臨むも4位に終わった日本代表チーム
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 【君島圭介のスポーツと人間】その監督が作り上げたチームは魅力的だった。第88回都市対抗野球で頂点に立ったNTT東日本だ。準決勝の東芝戦では0―0の9回1死から二塁走者の4番打者がノーサインで三盗を決め、サヨナラ勝利をもぎ取った。決勝の日本通運戦では一転。本塁打4本で相手をねじ伏せた。

 「観客を幸せにするのが俺たちの仕事だぞ!」。41歳でチームを率いる飯塚智広は大会前に選手を鼓舞した。社会人野球の本質を突いた言葉だ。社員でありながら業務は野球が中心。広告宣伝の側面もあるが、やはり社員の士気を高めるのが企業スポーツの意義だ。

 今年3月、神宮で行われたJABA東京スポニチ大会でNTT東日本はHondaに0―7とコールドで敗れた。飯塚のコメントは「見ている人に対して失礼」。惨敗のショックで頭に血が上ってもいただろう。プロの監督でも即座に出てくる言葉ではない。

 亜大では俊足の外野手として井端弘和(巨人内野手走塁コーチ)と1、2番を形成。98年にNTT関東に入社すると、00年のシドニー五輪野球日本代表に選出された。飯塚は「出てうれしかったけど、寂しさもあった」と振り返る。シドニー五輪は長い間、関係が断絶状態だったプロとアマの混成チームが結成された最初の大会だった。プロの目線から「歴史的な融合」と持ち上げられる中、同じジャパンのユニホームを着ていた飯塚は違和感を覚えずにいられなかったという。

 「僕自身はプロにはいけないと思っていた。だから五輪がプロに持って行かれそうになる中、アマの力を見せたいと必死になった」

 現実は冷たい。04年のアテネ五輪からは日本代表は事実上オールプロになった。その後、08年の北京五輪を最後に正式種目からも消えた。その間、かつて隆盛を極めた社会人野球は解散、統合が相次ぎ、数を減らし続けている。

 20年の東京五輪ではかろうじて追加種目という形で野球が一時的に復活する。日本野球機構(NPB)は東京五輪を野球人気復活の起爆剤と期待するが、メジャーリーガーが参加しない大会にオールプロで臨む必要があるだろうか。

 「五輪の野球をアマに戻せないだろうか」。飯塚の訴えが胸に響いた。「僕は杉浦さんの姿を小さい頃から見てきたので、その思いが強い」。96年のアトランタ五輪から3大会に連続出場し、「ミスターアマ野球」と称えられた元日本生命の杉浦正則は五輪出場のためにプロの誘いを何度も断ったと言われている。

 社会人野球のレベルは高い。NTT東日本の戦いを見て、ワンマッチならプロ球団を相手に勝利する可能性もあると思った。何より、都市対抗野球の決勝戦で東京ドームを埋めた3万2000人を熱狂させた力がある。

 「金メダルが大目標」などと悲壮感を漂わせながらシーズン中のプロ選手に無理を強いるより、アマの選手に夢を与えた方がいい。野球を続ける子供たちの最終的な受け皿は社会人野球なのだ。日本球界はその事実を再確認しなければいけない。 (敬称略、専門委員)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

[ 2017年8月1日 10:00 ]

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