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精神も生まれた高校野球発祥の地

高校野球発祥の地記念公園の竣工式でテープカットを行う浅利敬一郎・豊中市長(左から4人目)、高橋順二・日本高校野球連盟副会長(同5人目)ら関係者
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 【内田雅也の広角追球】今の夏の高校野球、甲子園大会に通じる第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)に「審判員心得」がある。1915(大正4)年8月、大阪・豊中グラウンドで開かれた際、配布された大会要項に明記されている。

 試合開始に先立って、両チーム選手が本塁後方に立つ審判員をはさんで整列し「敬礼」を行う。その方法が図示されている。各地で開催されていた大会をまとめ、初の全国大会を開くにあたって、取り決めたルールを広めたいとの思いが見える。試合後も同様に整列・敬礼する。

 4月6日、豊中市の「高校野球発祥の地記念公園」の完成式典に出向いた。第1回大会出場10校のOBも招かれ、和歌山中(現桐蔭高)OBとして半ば取材、半ば来賓として訪れた。

 「心得」はレンガの壁に銅板プレートとなって掲示されていた。礼に始まり、礼に終わる、という高校野球の伝統が始まったというわけだ。

 「今に通じる高校野球の精神がここで生まれ、培われたと言えるでしょう」と式典に参列した日本高校野球連盟(高野連)・高橋順二副会長が祝辞で述べていた。

 同所は第1回大会が開かれた豊中グラウンド跡地にほど近く、1988年、夏の70回大会を記念して「高校野球メモリアルパーク」が開設された。来年夏の100回大会を前に2014年から4600万円をかけ、規模・内容を拡張する再整備を行っていた。

 114平方メートルから445平方メートルに広まった公園は、往時の豊中グラウンドの門柱やレンガの壁を再現した。歴代優勝・準優勝校の校名を掲示した壁を設けた。

 発祥の地で精神も生まれたのは確かだ。試合前後の敬礼を徹底したのはその一つ。深紅の優勝旗にはラテン語で「VICTORIBUS PALMAE」(勝者に栄光あれ)と縫い込まれた。トーナメントでただ1校の勝者をたたえる一方、多くの敗れ去ったチームの健闘をたたえる文言でもあろう。その証拠に第1回大会の参加章(メダル)には同じくラテン語で「Victis Honos」(敗者に名誉を)と刻まれている。

 前回の当欄で書いたように、決勝で延長13回の末、京都二中(現鳥羽高)に敗れた秋田中(現秋田高)の選手たちは「京都軍万歳!」と連呼し、感動を呼んだ。

 そんな歴史に触れるのに、格好の公園だと言えるだろう。場所は阪急・豊中駅から徒歩10分の住宅地の中にある。当日は鳥のさえずりが聞こえた。高橋副会長は「皆さんが憩える場所ができた」とも話した。当日は地元住民や少年野球の代表者も参列していた。

 建設に協力した日本高野連理事(前事務局長)の田名部和裕さんは「アメリカのよりいいかもしれないね」と満足そうに笑っていた。米ニュージャージー州ホボケンの街角には「野球発祥の地」の銘板がある。1846年、エリジアン・フィールドで近代野球初の試合が行われた場所である。

 道路の中央分離帯に花壇があり、ひっそりとある。訪ねたのは2001年5月の晴れた日の昼下がりだった。隣のカフェから眺めていると、どこからか老婦人がやってきて、銘板を磨き、周囲を掃除していた。

 駅に「野球発祥の街」の看板もあったが、訪ねる人はほとんどない。だが、地元の人びとに愛され、大切にされていることが分かる。

 豊中もかくありたい。何も多くの観光客でにぎわうことなどなくとも、永く愛される。そして高校野球の心に触れる。そんな場所であればいい。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。2015年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。慶大卒。85年入社。

[ 2017年4月14日 11:00 ]

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