福島・いわき市、五輪野球&ソフト招致!観光都市復活へアピール

[ 2015年3月12日 06:25 ]

都市対抗野球のオール常磐とフラガールの応援を報じる70年7月28日付スポニチ1面を見ながら五輪誘致への思いを語る出澤政雄さん

 福島県いわき市が2020年の東京五輪・パラリンピックで、競技種目への復活を目指す野球とソフトボールを誘致する方針を固めたことが11日、分かった。市は会場候補地として2013年にプロ野球オールスターを開催した、いわきグリーンスタジアムを想定。来年8月に野球のU15(15歳以下)W杯開催で実績をアピールするほか、スタジアム横に室内練習場を建設するなどして誘致活動を進める。

 震災で400人以上の犠牲者を出し、今なお原発事故の風評被害が残るいわき市が“完全復興”に向けて動きだす。東京五輪の追加種目は来年8月末の国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まるが、市と市の野球組織は誘致に乗りだすことで一致。追加種目決定後に正式に名乗りを上げる。

 市の小学生から社会人までの野球組織を統括する「いわきベースボールコミュニケーション」の出澤政雄代表(88)は原発事故後、市内から千葉県市川市に移住。しかし、1カ月後に戻ってきた。「市の歴史の分岐点には野球があり、野球の力で復興を加速させたい思いがあった。観光都市として復活するのに五輪以上のアピールはない」と話す。

 炭鉱で栄えた1950年代前半、社会人野球チーム「常磐炭鉱野球部」の外野手、監督として都市対抗野球に5回出場。「常磐炭鉱が都市対抗に出ると市民は、臨時列車やバスを仕立てて後楽園球場に応援に駆けつけてくれた。町全体に活気があった」と振り返る。

 石炭産業の衰退で、野球部は62年に廃部。町は炭鉱から観光にシフトした。常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)がオープンした65年に結成された常磐炭鉱野球部を母体とするクラブチーム「オール常磐」は66、70年に都市対抗に出場。客席で踊るフラガールの姿は、観光の町いわきを全国にアピールした。

 71年4月に炭鉱は閉山。同年夏に磐城高が甲子園で小さな大投手、田村隆寿さんを擁し準優勝し、重苦しい雰囲気に包まれていた町は活気を取り戻した。

 市では、来年8月上旬に12カ国が参加予定のU15W杯をいわきグリーンスタジアムで開催。日本開催は初めての同大会で、海外に観光都市いわきをアピールするとともに国際大会運営の実績を積む考えだ。

 「市内の宿泊施設を利用している原発作業員もいずれはいなくなる。観光だけでなく、野球のメッカとして合宿も誘致したい。そのためにも五輪は必須」。出澤さんは年齢を感じさせない張りのある声で誓った。

続きを表示

この記事のフォト

2015年3月12日のニュース