センバツ確実に!池田、22年ぶりに甲子園に“帰る”

[ 2013年10月27日 06:00 ]

生光学園を下し校歌を歌う池田ナイン

 「やまびこ打線」が22年ぶりに甲子園に帰ってくる。秋季高校野球四国大会は26日、松山中央公園野球場で準決勝を行い、池田(徳島)が9―3で生光学園(徳島)に快勝。中国・四国地区から計5校が選出される来春のセンバツの出場を確実にした。池田は故蔦文也監督の下、1980年代に春夏合わせて3度甲子園を制したが、92年夏を最後に甲子園に出場していなかった。27日の決勝は今治西(愛媛)と対戦する。

【試合結果】

 かつての「やまびこ打線」とは印象が違っても遺伝子は残る。初回に4番・岡本の適時二塁打などで2点を先制後は、スクイズを含む5犠打で着々と加点。今大会から1番を背負う名西が9回を投げ抜いて、止まっていた時計の針を動かした。

 22年ぶり、春は27年ぶりの甲子園は確実となった。「退職までに行けるのかなと思ったこともあった」。79年夏の甲子園で準優勝した時の主将で捕手だった岡田康志監督は言葉を詰まらせた。

 70年代から90年代初めに数々の名勝負と伝説を聖地に残してきた「池高」。74年センバツには故蔦文也監督の下、11人で初出場準優勝し「さわやかイレブン」と呼ばれた。82年夏は畠山、水野らを擁した「やまびこ打線」を売りに圧倒的な猛打で優勝。翌年センバツも制し、夏春連覇を果たした。91年夏、体調不安を抱えた蔦監督に代わって指揮したのが、コーチを務めていた岡田監督。あの星稜・松井秀喜の5連続敬遠が話題を呼んだ92年夏には正監督として2年連続出場を果たした。しかし、この夏を最後に甲子園から遠ざかった。

 岡田監督は10年春に監督に復帰したが、夏に2年連続の初戦敗退も味わった。「OBも地域の人も“もう一度、池高を復活させよう”と声を掛けてくれた」。蔦監督の妻・キミ子さんが営んできた寮が11年限りで閉鎖した時には地元経営者から施設提供を受け、新しい寮では部員11人が生活を送る。昔も今も「池高」は山あいの町の誇りであり、希望。前回出場した92年、まだ生まれていなかったナインが新たな池田の伝説を築いていく。

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