長嶋さんの立大時代の恩師 砂押氏が死去

[ 2010年7月21日 06:00 ]

立教大野球部秋季リーグ祝勝会での砂押邦信氏(左)と長嶋茂雄氏(1999年11月29日)

 東京六大学野球リーグの立大監督を務め、長嶋茂雄氏を育てたことで知られる砂押邦信(すなおし・くにのぶ)氏が18日に腎臓がんのため川崎市の聖マリアンナ医大病院で死去していたことが分かった。87歳。茨城県出身。葬儀・告別式は23日午前10時半から東京都国分寺市西恋ケ窪1の39の5、東福寺で。喪主は妻益子(ますこ)さん。

 砂押氏は茨城・水戸商から立大に進み、1950年に27歳の若さで野球部監督に就任。スパルタ式の猛練習から「鬼の砂押」と呼ばれ、53年春にチームを20年ぶりのリーグ優勝に導き、第2回全日本大学野球選手権でも優勝した。夜間でもボールが見えるよう石灰を塗ってノックを続ける「月夜の千本ノック」は語り草だ。54年に入学した長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾を「立大三羽ガラス」と呼ばれるまでに鍛え上げるなど、立大黄金時代の礎をつくった。

 55年に退任。61年からは2シーズン、国鉄(現ヤクルト)の監督を務め61年は球団史上初のAクラス(3位)。65年にもシーズン途中から再度指揮を執った。66年以降は実業界で活躍する傍ら、埼玉県新座市のグラウンドに姿を見せて後輩を激励。立大の現在の縦じまのユニホームは砂押氏の考案とされ、66年完成の合宿所「智徳寮」で畳敷きだった広間を「ここは素振りをする場所だ」と板の間に変えるよう助言するなど晩年も厳しさは変わらなかった。

 ▼巨人・長嶋終身名誉監督 立教に入学したころ、練習終了後に毎晩、ノックを受け、バットを振らされたことは忘れられません。つらい練習でしたが、そのおかげで私の野球は基盤が固まり、プロでやっていく自信がつきました。私の野球人生において、砂押監督はとても大きな師でした。訃報に触れ、ただただ悲しく、寂しくてなりません。ご冥福を心より、お祈りいたします。

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2010年7月21日のニュース