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度肝を抜いた88、90年のボクシング界ビッグイベント 井上尚弥が東京Dに呼ぶタイソン以来の熱 

[ 2024年5月4日 04:55 ]

90年2月11日、マイク・タイソン(左)が衝撃のKO負け
Photo By 共同

 世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥は6日に東京ドームで挑戦者ルイス・ネリを迎え撃つ。東京ドームでのボクシング興行は元世界ヘビー級統一王者のマイク・タイソン(米国)が88年と90年に2度メインを務めて以来34年ぶり3度目。歴史的な一戦を前に、かつて世界中の注目を集めたビッグマッチを、現場で取材したスポニチ本紙OBの佐藤彰雄氏(79)が振り返った。

 米国から衝撃的なニュースが飛び込んできたのは1987年6月のことだった。当時21歳、全盛期にあった世界ヘビー級王者タイソンが、日本でタイトルマッチを行うことを陣営が明らかにしたのだ。この時期、低迷を続けていた国内プロボクシング界に活気を与えるために奔走した帝拳(本田明彦会長)の仕掛けと日本テレビ&広告代理店大手・電通の合同チームとで実現させた“超”がつくビッグイベント。その概要が翌88年2月に日米同時に発表され、日本の各社担当記者たちは、その規模に度肝を抜かれたものだった。

 試合日は88年3月21日。会場は新たに完成した東京ドーム。タイソンの相手はタッブス。両者のファイトマネーは、タイソン500万ドル(当時約6億5000万円)、タッブス80万ドル(同約1億400万円)がそれぞれ最低保証された。バブル期であったにしても、興行総経費1000万ドル(約13億円)は当時、想定をはるかに超えるものだった。

 チケット価格は最も高いリングサイド特別席が10万円に設定された。こんな席が売れるのか?という中、何とこの席から売れ始めた。タイソンはタッブスに2回TKO勝ちし、2年後の90年には再び東京ドームでダグラスと戦い、世紀の番狂わせとなる歴史的KO負けを喫した。明と暗を演じたタイソンの東京ドーム2大決戦。34年前の東京ドームは、まぎれもなくラスベガスと化し、会場を埋めた5万人超の観客は、金銭では換算できない非日常的な夢に酔いしれた。

 東京ドームのリングに立ったタイソンが残したものは、会場を包み込んだすさまじい熱気=プロボクシング界の活性化だった。タイソンが持っていたスーパースターとしての資質に勝るとも劣らない井上もまた今回、その役割を存分に果たしてくれると思う。(スポニチOB、元ボクシング担当)

 ▽1988年3月21日 日本初の屋根付き球場、東京ドームのオープニングセレモニーから4日後、21歳の世界ヘビー級王者タイソンは元WBA王者のトニー・タッブス(米国)と対戦。2回に左フックで衝撃のKO勝利を挙げた。わずか354秒での圧勝劇だった。

 ▽1990年2月11日 デビュー37連勝中の王者タイソンはWBA4位、WBC3位のジェームズ・ダグラス(米国)と対戦。8回に右アッパーでダウンを奪ったが、10回に逆に右アッパーから連打を浴びてダウンし、10カウントを聞いた。タイソン陣営の「8回(のダウン)はカウントが長すぎる」との抗議で一度は結果保留となったが、その後、ダグラスの王者が認定された。“世紀の番狂わせ”と呼ばれた。

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