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「男・山根」死す アマボクシングのドン山根明さん84歳 「奈良判定」などでお騒がせ 肺がんで闘病 

[ 2024年2月1日 05:00 ]

山根明さん
Photo By 共同

 アマチュアを統括する前日本ボクシング連盟会長の山根明(やまね・あきら)さんが31日午前3時50分ごろ、大阪市内の病院で死去した。84歳。堺市出身。関係者によると肺がんで闘病していた。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻の知巳(ともみ)さん。後日、しのぶ会を行う。こわもてのサングラス姿、自らを「歴史の男」と称する特異キャラでも注目を集めた。

 山根さんは昨年11月に血尿などの症状が出たため病院で検査を受け、肺がんが発覚。12月から抗がん剤治療のため入院した。正月には退院し自宅で1週間ほど過ごしたが、その間に肺炎を起こし再入院。以降はあまり元気のない様子で病床に伏していたという。

 亡くなる前日には長男で元日本ボクシング連盟会長代行の山根昌守氏(59)が病院を訪れて6年ぶりに親子で顔を合わせた。最期は妻の知巳さんら家族に見守られながら息を引き取った。

 山根さんは00年シドニー五輪で日本代表監督を務め、常務理事などを経て11年2月に会長就任。12年ロンドン五輪では村田諒太の金メダルなど日本勢初の1大会複数メダルにつなげた。しかし、強権的な組織運営は反発を呼び、18年に日本スポーツ振興センターからの助成金不正流用などを告発された。騒動に発展し、山根さんは連日メディアに登場。過去の暴力団組長との関係を告白するなど、歯に衣(きぬ)着せぬ発言が物議を醸した。

 中でも注目を集めたのが、かつて県連盟会長を務めた奈良県選手をひいきする審判不正「奈良判定」。16年の国体で、奈良県選手から2度ダウンを奪ったにもかかわらず、岩手県選手が判定負けした事例が疑惑の象徴として取り上げられた。後に審判への圧力を示す音声データの存在が明らかになったが、本人はあくまで「そんなこと私がするわけがない」と主張した。18年8月に会長を辞任。19年2月に日本連盟から除名処分を受けた。

 騒動後はバラエティー番組など多くのメディアに出演。19年には初の自伝「男 山根」も出版し、女性との初体験まで赤裸々につづった。近年はWYBC(ワールド・ヤマネ・ボクシング・チャンピオンシップ)を立ち上げ、日本人にとって未到の世界王座、ヘビー級選手の育成に尽力した。

 過去に大腸がんを克服した経験があり、周囲には「がんは死ぬ病気じゃない」「がんは治る」と話していたという。最期まで個性的な人生を全うした。

 ≪元秘書「もう1度お会いしたかった」≫山根さんの元秘書でその後、たもとを分かって辞任へ追い込んだ元連盟理事・澤谷廣典氏(61)は本紙の取材に「もう一度お会いしたかったですね」としのんだ。山根さんが上京する際、札束を封筒へ入れて渡した時のエピソードを回想。帰阪した山根さんから「寿司へ行こう」と連絡があり、会計の際に「今日は出すな、ワシが払う」と言って、渡したはずの封筒から金が支払われたという。なぜ東京で使わなかったか聞くと「“可愛い息子からもらったものを、使われへんやないか”と笑っていましたね」と往時を懐かしんだ。

 ◆山根語録
 ◇「接戦した場合、やっぱり奈良やな。それ、反対につけた場合は“お前なめてるんか?”てなってくる」(16年2月録音の「奈良判定」を裏付ける音声データ)
 ◇「おはようございます。私は12時過ぎてもおはようございますでございます」(18年8月、大阪市内で日本ボクシング連盟会長の辞任会見第一声)
 ◇「どうか選手の皆さん、将来、東京オリンピックに参加できなくても、その次のオリンピックもあります。頑張ってください」(辞任会見の最後に、世界にも顔が利く自分がいなくなったら東京五輪はどうなっても知らない、との捨てゼリフのように言い放った)
 ◇「これぞまさに“筆おろし”やね」(19年3月、初の自叙伝「男 山根」の発売日に合わせて行った人生初のサイン会を前に)

 山根 明(やまね・あきら)1939年(昭14)10月12日生まれ、堺市出身。91年、日本ボクシング連盟理事、94年国際ボクシング協会常務理事に就任。12年に日本ボクシング連盟終身会長。18年に日大客員教授に就任。19年にビデオ映画「GOKU・OH 極王」で俳優デビュー。20年に「男山根が風を切る」で歌手デビュー。私生活では4度結婚。知巳夫人は28歳年下。

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