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12年にゴロフキンと対戦した淵上誠さん 村田へ「体の強さを最大限生かして」

[ 2022年4月6日 05:30 ]

WBA・IBF世界ミドル級王座統一戦   WBAスーパー王者・村田諒太《12回戦》IBF王者ゲンナジー・ゴロフキン ( 2022年4月9日    さいたまスーパーアリーナ )

12年5月、王者ゴロフキン(左)のパンチを受ける挑戦者の淵上(AP)
Photo By AP

 【世紀の一戦 俺の目線 第2R】12年5月12日、当時29歳だった淵上誠さん(38)はウクライナ・キーウ(キエフ)郊外でWBA世界ミドル級王者ゴロフキンに挑戦した。すでに3度の防衛に成功していた王者は今ほど知名度はなかったが、強すぎるゆえに上位ランカーから敬遠され、チャンスが巡ってきた。オファーが届いたのは東洋太平洋王座の初防衛直後。準備期間は1カ月を切っていたが、「奇跡のまた奇跡。断る選択肢はなかった」と二つ返事で受諾した。

 「薩摩コング」の異名を持つタフなファイターは1回に右目上を負傷し、「2回には前歯が4本折れた」。3回TKO負け…最初は「運が悪かった。もっとやれた」と思ったが、今は「必然だった」と感じている。

 「パンチは硬くて鈍器で殴られているような感じ。当たった瞬間に意識が飛んで膝が落ちる。あの時は出血さえ止まればと思っていたけど、その後の彼の試合を見て、カットも含めてトータルで戦術、戦略だったのかと気付かされた」

 試合後、眠れずにいたホテルのロビーでゴロフキンと遭遇し、朝まで語り合った。陣営スタッフが合流すると、ゴロフキンは自ら注文して全員にコーヒーを振る舞ったという。「人間としても勝てないと思いました。2度負けた気分でした」。

 それから3カ月後、村田はロンドン五輪で金メダルを獲得し、プロ転向後には日本人2人目のミドル級世界王者に上りつめた。淵上さんは「体の強さで外国人を押し込める日本人がいるなんて信じられなかった」と驚き、そして魅了された。

 「自分がリスペクトする本当に強い2人の戦い。どういう試合になるか考えただけで震える。小細工が通用するような相手ではないので、村田君には体の強さを最大限に生かした最高のボクシングをぶつけてほしい」

 当日は「同じ空気を味わいたいから」と試合会場での観戦を予定している。

 ◇淵上 誠(ふちがみ・まこと)1983年(昭58)7月30日生まれ、鹿児島県阿久根市出身の38歳。04年に八王子中屋ジムからデビュー。06年にミドル級全日本新人王に輝き、10年10月に日本王座、11年12月に東洋太平洋王座を獲得。16年12月の試合を最後に引退。現在は日野自動車勤務、故郷・阿久根市のアクネ大使を務める。

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2022年4月6日のニュース