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力道山VS木村政彦――1954年12月22日「昭和の巌流島」プロレス史上最大の謎

[ 2020年4月29日 05:30 ]

1954年12月22日、世紀の一戦で木村政彦を圧倒した力道山=東京・蔵前国技館
Photo By スポニチ

 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~力道山編~】昭和、平成の名場面を本紙秘蔵写真で振り返る「Lega―scene(レガシーン)」。力道山編の2回目は「昭和の巌流島」です。1954年(昭29)12月22日、東京・蔵前国技館で実現した木村政彦とのプロレス日本ヘビー級王座決定戦。タッグでの活躍で国民を熱狂させてきた2人の対決は途中から力道山が木村を一方的に痛めつける凄惨(せいさん)な結末を迎えました。

胸のすく勝ちっぷりを見慣れていた観衆からも
戸惑いの声が上がった。
試合開始から14分を過ぎた頃だ。
左のキックを股間に受けた力道山が激高。
右のグーパンチを顎へ浴びせ
張り手と腹へのキックで木村をなぎ倒した。
殴る蹴る踏みつけるの暴行が始まった。

膝をついた木村へ顔面蹴り。
マット中央に引きずり出し
後頭部へ執拗(しつよう)なチョップとストンピング。
フラフラの相手を左右の張り手で再び沈めると
木村はうつぶせに倒れて動けない。
テンカウントが数え上げられ
3本勝負のはずだった試合は15分49秒
ドクターストップで力道山のKO勝利となった。

力道山はまくし立てた。
「リングに上がったとき、木村君はひそかに
“引き分けに持っていこう”と言ってきた。
自ら挑戦状を叩きつけながら、とんでもないやつだ」
「首を絞めたときも完全に効いたが
木村君はやめてくれと言った。
その直後、急所を蹴ってきた。
実に卑怯(ひきょう)なやつだ」

大相撲元関脇の力道山と
最強の柔道家と評される木村。
この年2月からシャープ兄弟と全国14連戦を行い
プロレスブームを生んだ2人がたもとを分かっての決戦は後味の悪さだけが残った。
「感情丸出しの試合」
「スポーツとして疑問」
翌日のスポニチの論評も厳しかった。
力道山の暴走はシナリオ破りなのか、それとも…。
「昭和の巌流島」は今もプロレス史上最大の謎とされる。

 《「引き分け」同意の念書…シリーズ化が無に帰したKO決着》柔道で15年間無敗を誇った木村は、自分の扱いに不満を抱いていた。シャープ兄弟戦はいつも先にやられ、力道山に救い出される役回り。嫌気がさして力道山の下を離れ、別団体を設立したものの興行は不振だった。朝日新聞紙上で「力道山のプロレスはジェスチャーの多いショー。真剣勝負なら負けない」と豪語し、実現させたのが「昭和の巌流島」だった。力道山は木村が引き分けを提案したとして、木村が書いた念書まで公開したが、木村側の説明によると力道山が書かせたもの。初戦引き分けからシリーズ化して全国巡業する計画を、力道山がぶち壊したと主張した。

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2020年4月29日のニュース