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元世界ジュニアライト王者・沼田義明氏 尚弥VS中谷に黄金期再来を期待「あの頃の人気を取り戻せたら」

[ 2026年4月28日 05:00 ]

世界ジュニアライト級タイトルマッチ15回戦   ○同級1位・小林弘 KO12回1分56秒 王者・沼田義明● ( 1967年12月14日    蔵前国技館 )

1967年12月14日、世界ジュニアライト級タイトルマッチで初の日本人同士の世界戦を戦った小林弘(左)と沼田義明
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 【世紀の日本人対決を語る(2)】日本人同士による初の世界戦が行われたのは、59年前の1967年だった。世界王座認定団体がWBA1団体だった当時、ジュニアライト(現スーパーフェザー)級で現在の統一王者ともいえる沼田義明氏(81)は、同級1位・小林弘氏(81)の挑戦を受けた。日本ボクシング黄金期に大きな注目を集めた一戦。同様の構図の井上尚弥VS中谷潤人の対決に、沼田氏は黄金期の再来を期待した。

 元世界王者の沼田氏は小林氏との試合が決まったとき、こう思ったという。

 「正直、日本人同士でやりたくなかった。でも、小林くんとは、いつかやらないといけないと思っていた」

 当時は、ファイティング原田(笹崎)が2階級制覇し、藤猛(リキ)が人気を集めていた。毎日のようにテレビ中継が組まれ、日本ボクシング界黄金期といわれる時代だった。

 テレビの企画で、全国の7200人の応募者から、わずか10人の合格者となってスカウトされた沼田氏は、黄金期の申し子ともいえる存在だ。北海道門別町(現日高町)から身一つで上京。極東ジムの小高伊和夫会長から「小高理論」を叩き込まれ、「精密機械」と呼ばれた。

 テレビ局と組む手法で業界の隆盛を導いた小高会長とともに、小林氏の所属する中村ジムの中村信一会長もボクシング界の中心的存在。黄金期を象徴するような日本人同士の初の世界戦が組まれた。

 赤穂浪士討ち入りの12月14日の決戦。「精密機械」の沼田と「雑草」の小林。天覧試合も噂された盛り上がりを、沼田氏は「それだけ期待された試合。その意味ではよかった」と振り返る。

 ただ、試合決定後に「会長同士の仲が悪くなった」という。公開練習で相手陣営の関係者を追い出すなど、ピリピリしたムードが続き「あまりいい印象はなかった」。試合は12回KOで沼田氏が敗れ、王座を失った。

 「相手の方が強かった。ただ、もう一度、(小林氏と)やりたかった」。沼田氏は、ボクシング経験のない小高会長から足の位置1センチまで直され、現役時代は「会長との闘いだった」と言う。小林氏との試合前も1時間、2時間の説教をされて精神的に疲弊した。

 沼田氏がやりたかったのは、ノーガードで右アッパーを武器とする、奔放な独自のスタイル。会長同士の不仲もあって、再戦は実現せず「そこだけ悔いが残る」と話した。

 黄金期ゆえに注目され、黄金期をつくった会長ゆえに自由を与えられなかった。それだけに、井上―中谷戦を「今は会長が絶対ではないでしょう。盛り上がるのはいいことだし、あの頃の人気を(2人で)取り戻せたらいい」と遠くを見つめた。

 ▽初の日本人同士の世界戦 1967年12月14日、蔵前国技館で行われた世界ジュニアライト級タイトルマッチ。王者・沼田義明に同級1位・小林弘が挑戦した。6回にダウンを奪った小林が12回にも3度のダウンを奪ってKO勝ち。沼田は初防衛に失敗した。沼田はその後、WBAから分裂したWBCの王座を獲得して3度防衛。小林は当時の日本記録の6度の防衛の合間に、WBA世界フェザー級王者・西城正三(協栄)と日本初の世界王者同士の対戦をノンタイトルで行い、判定勝ちしている。

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