×

高山勝成引退 東京五輪“夢散”36歳「納得してます」

[ 2019年9月1日 05:30 ]

東海地区選考会のフライ級初戦で宇津輝(右)に3―0判定負けした高山勝成
Photo By 共同

 プロボクシングのミニマム級世界主要4団体王者で、東京五輪を目指していた高山勝成(36=名古屋産大)が8月31日、岐阜県笠松町で全日本選手権の東海ブロック予選に臨み、3回判定負けした。試合後、17歳でのプロデビューからのボクサー人生を引退すると表明した。アマ転向を巡っては山根明連盟前会長(79)の拒絶を乗り越えての挑戦。当時、連盟はプロ経験者の五輪参加を認めず、山根体制の崩壊で方針転換した経緯があった。

 流儀を貫いて、四方の観客とレフェリー、ジャッジに頭を下げた。今年10月で丸19年を迎えるボクシング人生最後のリングでも変わりない。高山は素直に判定を受け入れた。

 「納得してます。計9分間の戦いではペースを取られると取り返すのは難しい。区切りをつけます」

 相手は名門・日大3年の宇津輝(21)。ただ、最高成績は高校3年の総体5位で全国的にほぼ無名。日本で初めて同一階級の世界ベルト4本を締めた高山がその左ボクサータイプに手を焼いた。

 プロデビューした17歳からのスタイルを貫く。足を使い、上下への打ち分け。ところが距離を取りカウンター狙いの相手に左ストレートを痛打された。3回、上下の打ち分けからのボディー攻撃で相手の動きを止めたが、時すでに遅かった。

 「1回にもらってしまってズルズル行った。自分より対策、心構えができていた」

 相手の人生とほぼ同じ期間、競技経験を重ねた4団体制覇王者も、3分3回の戦いではルーキーに近かった。判定は28―29が3者の0―3。東京五輪出場は日本ボクシング連盟・菊池浩吉副会長によれば「基本的に全日本選手権優勝者」であることから道は閉ざされた。現役引退を表明し、大学での教員免許取得へ本腰を入れる姿勢を示した。

 高山は先月の全日本選手権愛知県選考会でアマデビューし、2勝して東海ブロック予選へ進んだ。山根体制下ではアマ登録の申請書類すら、受け取りを拒否された舞台。「きょうは僕の日じゃなかった」。ベビーフェースに36歳の哀愁が浮かんだ。

 《高山勝成という男 リング内外で貫き通した「マイノリティ」の生きざま》18歳で獲った全日本新人王決定戦からブランクを挟みながら取材してきた。抜きんでたパンチ、スピードはない。加えて市場価値が低い最軽量級。井岡一翔や田中恒成のようにミニマム級を起点に複数階級制覇を目指すボクサーはいても、そこに止まり続けて活路を探る希少なボクサーだった。

 若い頃、「マイノリティ」と書かれたTシャツを練習着に使った。ブランド名だったが、無言のメッセージのようにも思えた。

 2007年、世界戦のファイトマネー330万円の不払いを告発し、所属ジムが一時活動休止状態に。ジムと選手、その関係性が「師弟」に例えられる日本にあって、移籍を繰り返すさまはマイノリティだった。

 同一階級4団体制覇、世界王者から金メダルを目指す歩み、リングを日本から海外へ移した選択もそう。個性派がグローブを壁につるした。(ボクシング担当・筒崎 嘉一)

 ◆高山 勝成(たかやま・かつなり)1983年(昭58)5月12日生まれ、大阪市出身の36歳。アマ経験はなく、2000年10月プロデビュー。05年4月にWBC世界ミニマム級王座を獲得。06年11月にWBA世界同級暫定王座獲得。09年に日本ボクシングコミッション(JBC)へ引退届を提出して海外を拠点に活動。13年3月にIBF世界同級王座獲得。同年7月にJBCに復帰し、14年12月にWBO世界同級王座を獲得し、日本人初の4団体制覇。愛知・菊華高を卒業し17年4月、名古屋産大へ進学。1メートル58、右ボクサー。

続きを表示

この記事のフォト

2019年9月1日のニュース