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RIZIN榊原氏 KIDさん目標だった「何食わぬ顔で復帰」 追悼セレモニー開催へ

[ 2018年9月20日 18:20 ]

2006年、宮田和幸を下しベルトを肩に笑顔を見せる山本“KID”徳郁さん
Photo By スポニチ

 格闘技イベント「RIZIN.13」(30日、さいたまスーパーアリーナ)の会見が20日に都内で開かれ、榊原信行実行委員長が出席。「知っている範囲は話してください、と(父の山本)郁英さんから言われた」と明かし、41歳の若さで死去した山本“KID”徳郁さん(本名岡部徳郁=おかべ・のりふみ、旧姓山本)への様々な思いを語ってくれた。

 「本当に残念。日本の格闘技界にとって大切な宝を失った」――。同じ業界で生きる同志として寂しさばかりが募る永遠の別れ。トップアスリートでありながら、堀口恭司を指導するなど育成面での能力も高かった故人を「まだまだ選手、指導者として尽力してほしかった。一緒に仕事をしたかった」と偲んだ。その上で「(RIZINに)業界を復興させるために出てもらいたい選手の一人だった。UFCとの契約を全うしたら、ぜひ日本のリングに戻ってきてほしいと出場交渉をしてきた。癌だと知っていたが、克服して出てほしいと伝えていたが」とエールを送っていた舞台裏も語った。

 山本さんは闘病中、二人で話す時でさえ弱った姿を見せなかったという。「最後まで現役としてリングに上がる、格闘家として戦うことを諦めていなかった」。人目に触れないように治療しており、「周囲に気づかれずに癌を克服して、何食わぬ顔で現役に戻るというのがモチベーションになっていたのだろう」と榊原実行委員長。当初は「6月末には危ない」と医師から言われていたが、山本さんは強靱な精神力で立ち向かい続けた。自身の病気を世間に公表したのは、週刊誌に載ると分かったから。それがなければ、世に出さずに病魔と闘い続けただろう。訃報を受け、「ついにこの日がきたのか」と悲しみに包まれた。

 30日の「RIZIN.13」には姉で総合格闘家の美憂選手も出場する。8月上旬に「リングに上がって弟に勇気や元気を届けたい」と直談判され、兄弟愛に応えようと対戦カードを組むことになった。当日の会場では「ご家族といろんな話をして、同じ格闘技界でともに飯を食った仲の僕らなりに最大限やってあげたい」(榊原実行委員長)と何らかのセレモニーなどを行うことを検討中だという。

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2018年9月20日のニュース