野村謙二郎氏「テレビでいうのは初めて」と知られざる過去を告白 父とは大ゲンカに

[ 2025年6月5日 15:17 ]

野村謙二郎氏
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 BSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)が3日に放送され、元広島監督の野村謙二郎氏(58)がゲスト出演。「テレビでいうのは初めて」だという知られざる過去を告白する場面があった。

 大分県出身で、地元の佐伯鶴城から駒大を経て1988年ドラフト1位で広島入りした野村氏。現役時代には左打者初のトリプルスリーを達成して通算2020安打を放ち、最多安打、盗塁王など数々のタイトルも獲得した。2010年からは5年間にわたって監督を務め、のちにセ・リーグ3連覇を成し遂げるカープの礎をつくったレジェンドだ。

 そんな野村氏。選手、指導者時代を通じて赤ヘルひと筋だが、もともと子供のころは巨人の大ファンだった。中学までは右打ち。当時巨人のスター選手だった篠塚利夫(現・和典)が「大憧れ」の存在で、体格に恵まれていないという共通点もあって流し打ちの名手だった篠塚氏と同じ左打ちに高校から転向したという。

 だが、高校進学時にはホロ苦い思い出も。野村氏は「テレビでいうのは初めてだと思うんですけど」としたうえで「(本当は)PL学園に行きたかったんです」と笑顔で打ち明けた。

 「自分の力がうんぬんではなくてPL学園に行ったら甲子園出れるって思ってたんで。レギュラーになるとかならないとか考えてなかった」と苦笑い。

 当時はPL学園(大阪)や池田(徳島)がずば抜けた強さで甲子園を沸かせていた時代だった。仮に自分がレギュラーになれなくともPL入りすれば憧れの甲子園には行ける!中学生だった野村少年の純粋な思いだった。

 しかし、父から猛反対されて大ゲンカ。「地元に行かないんだったら応援しない」と言われ、「それしかない」と最終的には父に従い、地元の進学校に進んだ。

 野村氏は高校3年夏も県大会準決勝で敗退。「4―0から逆転負けという…」と聖地の土を踏むことはできなかった。一方で、野村氏にとって1学年下にあたる桑田真澄、清原和博のKKコンビを擁したPL学園は甲子園を沸かせ続けた。

 高校野球の雑誌はどれもこれも桑田、清原を巻頭カラーで大特集。「僕は裏からめくって、ちっちゃ~い字で(自分の)名前を見た時に“あぁ、こんなに差があるんだな”と思ったぐらい。(雑誌に自分の名前を)一応探すのは探すんですけど」と懐かしそうだった。

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