【ROOKIES 猛虎ファイル】育成1位・松原 投手への道導いてくれた亡き恩師の思い背負う

[ 2023年12月27日 05:15 ]

亡き恩師・高朋高校の森崎直樹監督(手前右)と松原(家族提供)
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 阪神の育成ドラフト1位・松原快投手(24=日本海・富山)は最速156キロを誇るスリークオーター右腕だ。野球を始めた小学3年生から捕手で、投手挑戦は転校した高校2年生から。恩師との出会いと別れがあった。社会人と独立リーグでは2人の元阪神投手から学び、プロの世界に飛び込んだ。(松本 航亮)

 松原にとって恩人との別れは突然だった。

 高朋(こうほう)高(富山)の3年夏の富山大会。決勝で敗れて目標だった甲子園には届かなかった。引退後は「野球は高校まで」と消防士の専門学校の受験を考えていたところ、森崎直樹監督から「野球をやった方がいいよ」と背中を押された。社会人のロキテクノ富山から誘われ、8月に決心。「ロキへ行きます」と連絡すると、「そうか。じゃあ、連絡しておくわ」と喜んでくれた。その翌日に急逝。53歳の若さだった。「監督さんの教え子の中で最後に進路の面倒を見てもらった選手。なかなか野球をやめられない」。遺志を胸に刻み、マウンドに立ち続けることを誓った。

 森崎監督がいなければ、投手・松原はいなかった。小学校3年生で野球を始めてから、ずっと捕手。高校1年生で挫折を経験した。強豪で知られる富山第一への進学。「ここなら甲子園に行けるだろう」という理想に対して現実は違った。チームメートとの野球観の違いや温度差を感じ、なじめない日々が続いた。1年生の12月に退部。中学時代から熱心に誘ってくれた森崎監督のいる高朋へ転入を決意した。

 2年生からの再起。「ここでもう一度やってみよう」。待っていたのは投手への初挑戦だった。「森崎監督から“キャッチャーっぽくない″と言われた」。猛特訓が始まった。早朝5時半の始発で出て午後10時半の終電で帰宅。チーム方針でまずは打撃練習を主とし、投手練習は夜7時から。高野連の規定で1年間は公式戦に出場できない中、朝と夜に最寄り駅まで車で送迎してくれた母・雅美さんの支えもあって、当初の球速130キロが3年春には141キロまで伸びた。

 3年夏は打撃が好調だったこともあって、投手で登板のない試合では一塁手としても出場した。3試合に登板し、計4回2/37失点。森崎監督に見いだされた投手能力の本格開花は、まだ先だった。

 ロキテクノ富山では2年目まで最速144キロにとどまり、伸び悩んだ。3年目に大卒投手が多く入団し、立場が危うくなってきた時、元阪神の藤田太陽監督から「ちょっとサイドで投げてみて」と提案された。試してみると確かな手応えがあった。「制球も良くなり、半年で球速が148キロまで伸びた」。いまの原型ができた。

 22年には独立リーグの日本海・富山に加入。当時、投手コーチを務めていた元阪神・西村憲氏から投手としての気構えを学び、立ち居振る舞いや考え方が変わった。「打たれると、どうしよう…って思うタイプだった。ポジティブな考え方になった」。2年目を迎えた今季からは「運がいいな」と自分に言い聞かせた。

 「たとえダメな試合でも、これは良くなる予兆だと切り替えられるようになった」

 亡き恩師に導かれた投手の道。猛虎と縁のある2人の指導者からは技と心を教わり、プロの世界にたどり着いた。「恩返しできるように」。育成枠からのスタート。甲子園のマウンドに立つ姿を見せたい人がたくさんいる。

 ▽松原 快(まつばら・かい)
 ☆生まれ&サイズ 1999年(平11)8月24日生まれ、富山県黒部市出身の24歳。1メートル80、88キロ。右投げ右打ち。

 ☆球歴 小学3年で宇奈月ヤンキースで野球を本格的に始め、中学は富山東部ボーイズ。高朋では甲子園出場なし。社会人のロキテクノ富山で4年間プレーの後、22年に日本海・富山に入団し、今季は27試合で5勝0敗、防御率0.89で日本海リーグMVP。

 ☆登録名 富山では今年から「快」で登録。「昨年ドラフト指名されずに心機一転、自分を見てくださいという意味で」。阪神でも!?

 ☆宿敵との縁!? 同世代の巨人・大勢とはトレーナーが同じ縁で昨年12月に自主トレ。「1軍の舞台で投げ合おう、と言っているので、早く行けるように」

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