家族とファンの後押しで、豊ノ島が再び輝く

[ 2016年11月1日 09:30 ]

豊ノ島

 【佐藤博之のもう一丁】土俵に上がれば、たった一人で闘わなければならない。誰の力も借りられない。だが、土俵に上がるまでは一人じゃない。部屋の師匠をはじめ、たくさんの人に支えられているおかげで闘える。一年納めの九州場所。左アキレス腱断裂からの復活を目指している33歳のベテラン豊ノ島も、多くの人の後押しを支えにしている。

 豊ノ島がアキレス腱断裂の大けがを負ったのは名古屋場所前の7月1日の稽古中だった。翌日に手術を受け、診断結果は全治3カ月。名古屋場所、秋場所と全休を余儀なくされ、春場所では約4年ぶりの関脇だったものの、九州場所は幕下陥落となった。

 幕下以下の力士が締める「黒まわし」で相撲を取るのは20歳だった04年春場所以来、約12年8カ月ぶり。付け人はいなくなり、会場には風呂敷で包んだまわしを持って入り、取組が終わるまでの身支度も一人でしなければならない。幕内優勝決定戦に進出した力士の幕下陥落は09年夏場所の北勝力以来、史上2人目の屈辱。ケガをした直後は「正直なところ“なんで俺なんだ”というのはあった。考えれば考えるほどへこんだ」と、明るい性格の男も暗い気持ちにならざるを得なかった。だが、時がたつにつれて「何カ月かの短期間と思って我慢するしかない」と気持ちは切り替わった。

 背中を押してくれたうちの一人が、沙帆(すなほ)夫人だった。関取と違って幕下以下は無給となるだけに、早く関取に復帰したいと思うのは当然。だが、焦って無理なトレーニングをすればケガを悪化させる危険性もある。そんな時、沙帆夫人から「(復帰場所で)負け越したらやめるのではなく、自分で行けると思ったら、ケガのことは気にしないで続けてください」と言われた。その言葉で前向きになれた。熊本県内で行ったリハビリにも集中できたことで、10月22日の地元高知県で秋巡業への復帰にこぎ着けた。

 ファンへの感謝も忘れない。九州入りするまで都内で調整するという選択肢もあったが「普通に歩けるようになって、元気なところを見せたいというのがあった」という理由から秋巡業への復帰を決意した。まだ本格的な稽古はできないが、毎日のように朝稽古に姿を現して基本運動を行い、ファンとの触れあいは時間の許す限り続けた。「声援は力になる」。応援してくれるファンがいるからこそ、苦しい日々も乗り越えられた。

 関取最年長37歳の安美錦は夏場所中にアキレス腱を断裂したが、十両まで番付が落ちた秋場所は強行出場で見事に勝ち越した。豊ノ島の土俵人生も、簡単には終わらない。(専門委員)

 ◆佐藤 博之(さとう・ひろゆき)1967年、秋田県大曲市(現大仙市)生まれ。千葉大卒。相撲、格闘技、サッカー、ゴルフなどを担当。スポーツの取材・生観戦だけでなく、休日は演劇や音楽などのライブを見に行くことを楽しみにしている。

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2016年11月1日のニュース