パーマー氏死去“THE・KING”常に攻撃的プレーで人気沸騰

[ 2016年9月27日 05:30 ]

1981年、日米対抗に出場したアーノルド・パーマー。左奥は杉原輝雄

 米プロゴルフ界で“THE・KING”と呼ばれたアーノルド・パーマー氏が25日、ペンシルベニア州ピッツバーグ市内の病院で心臓疾患による合併症のために死去した。87歳だった。同氏は1955年のプロ転向後、メジャー7勝を含む歴代5位の通算62勝をマーク。テレビ中継の導入によってゴルフの人気が高まる中で米国民のヒーローとなり、06年に一線を退くまで52年連続でツアーに出場した。英雄の死は各方面に衝撃を与え、ライバルだったジャック・ニクラウス氏(76)は追悼のコメントを寄せた。

 パーマー氏は22日に入院。心臓の治療を受けていたものの、次第に容体が悪化し帰らぬ人となった。今年4月のマスターズでは名誉スターター(始球式)を辞退。“アーニーズ・アーミー”と呼ばれた熱烈なギャラリーは、ジョージア州フォートゴードンにある陸軍基地の兵士たちが大挙してオーガスタ・ナショナルGCを訪れて同氏を応援したことに始まっているが、その思い出の地のティーグラウンドに立てなくなってから急速に体力が落ちていったようだ。

 グリーンキーパーを経てレッスンプロになった父の手ほどきを受けてゴルフを始め、55年のカナディアン・オープンで初優勝。60年の全米オープンでは最終日に7打差をひっくり返して優勝し、一方で66年には7打のリードをひっくり返されて優勝を逃すなど常に話題の中心にいた。全盛期は太い腕から鋭いショットを放ち、強烈なフックの曲がりを抑えるために、インパクト後に左肘を抜いて高く上げる独特のハイフィニッシュも注目された。常に攻撃的なゴルフを貫き人気は沸騰。現在のゴルフ界の礎を築いた。現在、メジャーと呼ばれる4大会も遺産だ。マスターズ、全米オープン、全英オープンを制したが、全米プロは勝てずじまい。4大会全てそろえることを渇望したタイトルがそのままメジャーとして定着した。

 60年代後半からはニクラウス氏に第一人者の地位を譲るが、存在感があせることはなかった。ゴルフライターのトム・キャラハン氏は「神はニクラウスに“おまえは誰にもない技術を身につけるだろう”と語りかけ、パーマーには“でもみんなが愛するのはおまえの方さ”とささやいた」と2人の違いを表現。記録より記憶に残るプレーヤーだった。

 ゴルフをビジネスにつなげたパイオニアでもある。ゴルフ場の設計と経営で財をなし、傘のマークでおなじみのウエアなどのアパレル商品は日本でもブームに。米ゴルフ・ダイジェスト誌によればPGAツアーの生涯獲得賞金は計186万ドル(734試合)だが、08年の事業収入は3000万ドル以上。その流れはタイガー・ウッズ(40)を筆頭に多くの選手に受け継がれている。

 「ヒーローであるかどうかには興味はないんだ。ただ自分はまだゴルフをしたい」。97年に前立腺がんと診断されたあとも現役を続行。アグレッシブな生き方もまた記憶に残る“勲章”だった。

 ◆アーノルド・パーマー 1929年9月10日、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外のラトローブ出身。メジャーはマスターズで4勝、全英オープンで2勝、全米オープンで1勝。シニアのチャンピオンズ・ツアーでは10勝。74年に世界ゴルフ殿堂入り。2人の子供をもうけた最初の妻ウィニーさんは99年に死去。05年に再婚。孫のサム・サンダース(29)もプロゴルファーで今季のPGAツアーのマネーランクで151位。1メートル78、84キロ。

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