マラソン挑戦で“天国から地獄”と思ったら…見えてきた光景とは

[ 2016年2月24日 08:30 ]

 今年で3回目を迎えた北九州マラソン(21日)に参加。去年は小雪が舞うきびしい天気だったが今年は晴れて海風も比較的穏やかだった。

 その前日。地元にいる友人の医師のところに立ち寄って左足首周辺に鎮痛剤の注射をしてもらった。50代も後半になるとけがはそう簡単には治らない。いろいろと手は尽くしたがこれが最後の手段だった。なにしろ参加料の1万円は払い込んでしまっている。棄権したのではコスパが悪い。だからとりあえずスタートラインに並んだ。

 走り込みもまったくできなかったのでどうなるかと思ったら号砲が鳴って前に進みだすと足が軽い。痛みがない。注射が効いたのだと思う。しかしこれが後になって大きな“勘違い”だったことを知るはめになる。

 5キロから10キロのラップと20キロ通過時点のタイムは自己ベスト。でも好事魔多し。「よし、サブフォー(4時間未満での完走)でも狙ってみるか」と欲が出た瞬間、中間点の手前で私の両足が悲鳴をあげた。

 「プツッ」という妙な音が聞こえた。すぐに足の裏から頭のてっぺんに向かって痛みが走る「筋断裂?」、「えっ、ここまでの好調さは何だった?」。自問自答しながら立ち止まった。しばらく様子を見て各所を触ってみるが原因はわからない。でも走ると痛い。そこで自己記録更新という目標はあきらめざるを得なかった。注射した患部の痛みは消えていたが、練習不足がたたってそれ以外の筋肉と関節の耐久性がまったくもって不足していたようだ。しかも久々の“ペインフリー”がうれしくて序盤から飛ばしたことが完全に裏目になった。

 さてどうしよう?ここからのランナーの選択は2つ。棄権して回収車に収容されるのを待つか、それとも関門時間をクリアする限りは歩いてでも前に行くか…。何事も「ああもったいない」と思ってしまう私は後者を選択した。なにせ歩くぶんには足は動いてくれるのだ。もっとも急に動きを止めたあとに歩きだしたので太腿が最初はけいれん。なので“お守り”代わりに携帯していた「こむらがえり」に効果がある漢方薬の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)を飲んでとりあえず歩いてみた。

 するとどうだろう。走っていたなら気がつかないようないろいろな光景が目に飛び込んできた。関門海峡の潮の流れの速さをじっくり確かめたのも久しぶり。ハイタッチをしてくれる子どもたちの表情も新鮮だった。

 しばらく歩いていると一生懸命に走っている30代とおぼしき女性が私を追い越していった。少し首が傾いている。きつそうだ。私の早足とスピードはほぼ同じ。でも彼女なりに頑張っているのだと思うと、なんだか私も背中を押された気分になった。

 22キロの長い長いウォーキング。序盤のハイペースがあったおかげで関門にはひっかからなかった。号砲から5時間15分後。私は首を傾けながら最後まで一度も足を止めなかったあの女性と一緒にフィニッシュした。名前はわからないがその背中に拍手を送ってレースは終了。タイムは残したくないが記憶に残る大会だった。無念さは残るものの完走メダルがあるだけで中学や高校の同期たちから褒められるのが50代。1万円の価値はあったと思っている。(スポーツ部・高柳 昌弥)

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2016年2月24日のニュース