北の湖理事長 最大の功績は公益財団法人移行 人気回復にも貢献

[ 2015年11月21日 11:00 ]

協会あいさつを行う北の湖理事長

北の湖理事長死去

 北の湖理事長は02年2月、当時48歳ながら戦後生まれとしては初めて日本相撲協会トップの座に就いた。だが、その後は逆境の連続だった。07年に時津風部屋の力士死亡事件が起こり、批判の矢面に立たされた。08年にはロシア出身力士による大麻問題が次々と発覚。その1人の白露山が弟子だったため、責任を取って9月に任期途中で理事長を辞任した。相撲協会によると、任期を残しての引責辞任は初めてのことだった。

 11年には弟子の八百長関与で理事からも降りたように、師匠としては第2の北の湖を育てることができなかったが、厚い人望により、12年には史上初めて理事長に返り咲いた。最大の功績は協会の公益財団法人への移行。当初は親方衆の反対意見が続出し難航したがトップとして組織をまとめ、昨年に無事に認定を受けた。不祥事続きによる相撲人気の低下に対しても、さまざまな施策を導入。人気回復にも大きく貢献した。

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2015年11月21日のニュース