北の湖理事長急死 20日朝に入院、夕方に容体急変

[ 2015年11月21日 05:30 ]

84年5月場所、2年4カ月ぶり、そして最後となった優勝を飾り賜杯を持つ北の湖

 大相撲の第55代横綱で日本相撲協会の北の湖敏満(きたのうみ・としみつ、本名・小畑敏満=おばた・としみつ)理事長が20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。62歳。葬儀の日程、喪主などは未定。福岡国際センターで開催中の大相撲九州場所で同市内に滞在しており、20日朝、体調不良で病院に救急搬送されていた。

 角界に衝撃が走った。北の湖理事長が急死した。20日夜、福岡市内の病院で報道陣に対応した玉ノ井広報部副部長(元大関・栃東)によると、死因は「直腸がん。多臓器不全」だっ た。同副部長は「容体が急変しました。きのう(19日)も元気に公務をこなしていた。いきなり、こういうことになって残念。何とも言えない」と言葉を詰まらせ、涙を浮かべて絞り出した。

 協会関係者によると、同理事長は19日夜に持病の貧血の症状を訴え、20日朝に救急車で福岡市内の病院に運ばれて入院。血圧も低下したものの、点滴治療などで容体は安定したという。北の湖部屋の関係者は「意識はしっかりしている。血圧が低くて病院に行った」と話し、玉ノ井広報部副部長は「後半戦に入って疲れが出たのだろう」と説明。昼すぎまでは病室で今後の業務について思案していたという。だが、夕方になって容体が急変。病院に駆けつけた山響親方(元幕内・巌雄)によれば、最期に言葉を発することもなく息を引き取った。遺体は福岡県内の葬儀場に安置された後、21日に東京に向けて搬送される。

 北の湖理事長は13年に大腸ポリープの手術を受け、今年7月には腎臓に尿がたまる両側水腎症で名古屋場所を途中休場。10月は腎臓がすぐれず都内の病院に入院した。今場所は初日のあいさつを腰痛を理由に休むなど、体調に不安を抱えていた。顔も含めた上半身は痩せ、立ったり座ったりなどは常に付け人の手を借りていた。それでも連日会場に姿を見せ、取材対応などをこなしていた。

 北の湖理事長は三保ケ関部屋に入門し、1967年初場所に13歳で初土俵。17歳で新十両に昇進するなど怪童と呼ばれた。74年名古屋場所後に史上最年少の21歳2カ月で横綱に昇進した。優勝24度は歴代5位。横綱輪島と「輪湖(りんこ)時代」を築き大相撲ファンを魅了した。右上手を引いた時の強さは圧倒的で「憎らしいほど強い」と評された。横綱在位は史上1位の63場所で通算成績は951勝350敗107休。85年初場所限りで現役を引退し、一代年寄「北の湖」を襲名。2002年2月に日本相撲協会理事長に就任した。08年9月に弟子の不祥事で辞任したが、12年2月には2度目の就任を果たし、相撲協会の公益財団法人移行に尽力した。

 昭和の大横綱は、今場所10日目に猫だましを繰り出した横綱・白鵬の奇襲には「前代未聞。負けたら横綱として笑いもの」と苦言を呈した。相撲は勝てば良いわけではない。何より訴えたのは強さとともに備えるべき品格。それが後進への最後のメッセージとなった。

 ◆北の湖 敏満(きたのうみ・としみつ)本名・小畑敏満。1953年(昭28)5月16日、北海道有珠郡壮瞥町生まれ。67年初場所で初土俵。74年名古屋場所後に史上最年少の21歳2カ月で第55代横綱に昇進。優勝24回。85年初場所で引退して一代年寄「北の湖」を襲名。96年から理事、98年から協会No・2の事業部長を2期4年務め、02年2月に理事長に就任した。08年9月に辞任するも、12年2月から再び理事長に就任。

 ▽直腸がん 大腸の最も肛門に近い部分にある約15センチの直腸にできる悪性の腫瘍。大腸がんの中でも日本人はS状結腸と直腸にがんができやすいと言われている。発見しやすいがんの一つで、早期に発見できれば内視鏡で切除できる。

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