竹田・招致委理事長「人生懸けた」親子の夢実現

[ 2013年9月9日 06:00 ]

マドリード招致委関係者と健闘をたたえ合う招致委の竹田恒和理事長(左)

2020年「東京」五輪決定

 親子2代で夢を実現させた。日本で唯一の国際オリンピック委員会(IOC)委員としてロビー活動に全力を尽くした竹田恒和・招致委員会理事長(65)は「人生を懸けた戦いだった」と目を潤ませた。明治天皇の孫で「プリンス・タケダ」と呼ばれ、92年5月に亡くなった父・恒徳氏もIOC委員。「父が背中を押したのかもしれない」と感慨に浸った。

 夢舞台に魅せられ、そして夢舞台に翻ろうされた。馬術に夢中だった高校時代に行われた、64年東京五輪の記憶は今も鮮明だ。後日、父が欧州の王室関係者を中心にロビー活動で駆け回り、五輪招致に尽力した事実を知った。初出場した72年ミュンヘン五輪では、パレスチナ・ゲリラによる選手村襲撃事件に遭遇。引退を決意するきっかけとなったのは東西冷戦下の80年モスクワ五輪だった。日本のボイコットで出場の夢を絶たれた無念さを忘れられない。

 会長を務める日本オリンピック委員会(JOC)の05年の年頭あいさつで「日本に五輪を!」と呼び掛けたが4年前の16年五輪招致は失敗。確執があった当時の石原慎太郎・東京都知事から「JOCがだらしない」と国際人脈の弱さを批判されたこともある。11年3月11日には東日本大震災が発生。「五輪どころではない」。周囲の声に夜も眠れないほど心が揺れたが20年五輪招致の夢は捨てなかった。

 8月11日、母・光子さんの訃報を出張先のモスクワで聞いた。決戦の地、ブエノスアイレスへ旅立つ前、両親の墓に参り「五輪を必ず勝ち取ってきます」と誓っていた。7年後の夢舞台を成功に導くために、これからも全力を尽くす。

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2013年9月9日のニュース