スコット 豪州勢初V 恩人ノーマンの悲願かなえた

[ 2013年4月16日 06:00 ]

最終ラウンド、カブレラ(右)とのプレーオフを制し、初優勝を喜ぶスコット

USPGAツアー マスターズ最終日

(4月14日 米ジョージア州オーガスタ オーガスタ・ナショナルGC=7435ヤード、パー72)
 アダム・スコット(32=オーストラリア)が通算9アンダーの279で並んだアンヘル・カブレラ(43=アルゼンチン)とのプレーオフを制しオーストラリア選手として初優勝した。メジャー初制覇で米ツアー9勝目。賞金144万ドル(約1億4100万円)を獲得した。タイガー・ウッズ(37=米国)は4打差の4位。石川遼(21=CASIO)は5年目で初の60台となる68で、通算4オーバーの38位に入った。

 夕闇が迫る10番グリーン。優勝を決めたスコットは雨空に向かって両拳を突き上げた。オーストラリア選手として初めて、優勝者が着るグリーンジャケットに袖を通した32歳は「ここにいることが信じられない。グリーンジャケットはわれわれが手にできなかった一つだった」と声を震わせた。

 最終ラウンドの18番で6メートルのバーディーパットをねじ込み、09年覇者カブレラとの雨中のプレーオフに臨んだ。18番での1ホール目はともにパー。2ホール目は10番。約3メートルのバーディーパットを前に「同じようなところから過去の優勝者が決めているのを見ていた。今度は自分の番だと思った」と冷静になった。カブレラが5メートルのパットを外すのを見届け、独特の長尺パターで頭に描いた通りのフックラインに乗せてカップに沈めた。

 マスターズには特別な思いがある。96年、母国の英雄グレグ・ノーマンが2位に6打差をつけながら最終日に78を叩いてニック・ファルド(英国)に逆転負け。当時15歳のスコットはショックで学校を休み、自宅で泣き続け、将来、自分がノーマンの雪辱を果たすことを心に決めた。

 そのノーマンは恩人でもある。結果が出ず腐りかけていた09年、世界選抜と米国選抜の対抗戦「プレジデンツ・カップ」で、主将を務めたノーマンから世界選抜に選出された。憧れの人に認められ再び世界の舞台に立ったことが自信を取り戻すきっかけになった。「グレグは母国の全てのゴルファーにとって憧れの人。彼がグリーンジャケットに袖を通せたはずだと皆が思っていた。この勝利の一部は彼のものだ」と感無量の表情で話した。

 昨年の全英オープンは最終日に崩れ2位。12年連続出場のマスターズは11年に2位。メジャー制覇にあと一歩に迫っていた。頂点に立つために必要なものを問われ「最後の詰めまで来ている。特に変えることはない」と話していたが、4日間を通じてパーオン率76・39%(1位)、1Wの平均飛距離293・75ヤード(18位)を記録する堂々たるプレーぶりだった。

 ウッズの元コーチのブッチ・ハーモン氏の指導で腕を磨き、ウッズと組んでいたスティーブ・ウィリアムズ氏をキャディーに起用しておりスーパースターと比較されることが多い。かつて「ホワイト・タイガー」の異名を取った男がついに主役の座に就いた。

 ▽マスターズでのノーマンの悲劇 86年は最終日を首位で迎えながら65で回ったニクラウスの猛チャージにあって1打差の2位タイ。87年はバレステロスを含めた3人のプレーオフとなり、2ホール目でマイズにチップイン・バーディーを決められて敗北。96年は2位ファルドに6打差の首位で最終日を迎えたが78で自滅。67で回ったファルドが優勝し5打差の2位に終わった。

 ◆アダム・スコット  1980年7月16日、オーストラリア生まれの32歳。00年にプロ転向。23歳だった04年に、プレーヤーズ選手権を制覇するなど、昨年までに米ツアー通算8勝を挙げる。メジャーは昨年の全英オープンと11年マスターズの2位が最高だった。憧れは母国の名選手、グレグ・ノーマン。1メートル83、82キロ。

 ≪豪州勢は“当たり年”≫オーストラリア勢の2位は、同一年度の2位タイ(11年のスコットとデー)を含めて過去8回を数える。しかし、今季はスコットが優勝しただけではなく、4位タイまで の中に3人が名を連ねる“当たり年”となった。

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