中野が五輪切符 「迷ったら突け」太田の助言で開眼

[ 2012年4月21日 06:00 ]

優勝し五輪出場を決めた中野はスタンドに向かってガッツポーズ

フェンシング ロンドン五輪アジア・オセアニア最終予選第1日

(4月20日 和歌山ビッグウエーブ)
 女子エペで中野希望=のぞみ=(25=大垣共立銀行)が、決勝でアンドレーバー(キルギス)を15―6で破り、優勝者のみに与えられるロンドン五輪の個人戦出場権を獲得。自身初の五輪出場となった。また、北京五輪代表で男子サーブルの小川聡(28=NEXUS)は決勝に進出したが、イランの選手に13―15で敗れ、出場権獲得はならなかった。

 優勝が決まると中野は両手を突き上げた。「手が震えました。最後の1点は覚えてないぐらい」。関係者と抱き合うと、ようやく笑みがこぼれ次第に泣き顔に変わった。

 北京五輪男子フルーレ銀メダリスト太田雄貴の言葉を胸に戦った。18日の朝、和歌山入りする前に都内で太田に会い「迷ったら突きにいけ。迷って手を引くなよ」と助言された。種目は違うが、親交が厚い先輩の金言。3試合とも先行して逃げ切る得意の展開だった。「言われたとおりに相手より先に突こうと思った」と“太田イズム”で五輪切符を獲得した。

 剣道指導者の父・芳樹さん(57)の影響で、中学まで剣道少女。だが、福井・武生商高で「日本一になれる」との言葉にひかれ、フェンシングを始めた。芳樹さんは猛反対したが「日本一になってみろ」との言葉に発奮し、高校時代から深夜にまで及ぶ猛練習。1メートル73という恵まれた体格もあって、めきめき頭角を現した。10年広州アジア大会では女子エペ個人で日本勢史上初の銀メダル、同団体で金メダルを獲得した。この日、会場で応援した芳樹さんも「点差の開いた親孝行な試合展開。娘ながら大したものだと思う」と喜びを隠せなかった。

 高校3年から夢見てきた五輪出場が決まると「行ったことがないから想像がつかない」と震えた。世界ランクは72位。トップレベルとの差を埋めるため「細いと力で負けてしまう」と1日の摂取カロリーを2500キロカロリーにして現在58キロの体重を「増やせるだけ増やす」計画だ。成長途上の25歳は、大舞台での飛躍を夢見て最後は涙を拭った。

 ◆中野 希望(なかの・のぞみ)1986年(昭61)7月3日、福井県出身の25歳。福井・武生商高でフェンシングを始め、高校3年でインターハイ制覇。日体大進学後にエペ専属になり、10年広州アジア大会で日本人初となる女子エペ個人で銀メダル。エペ団体戦でも金メダルを獲得した。昨年の世界選手権は155人参加のエペ個人で100位。1メートル73、58キロ。

 ▼エペ フェンシングはエペ、フルーレ、サーブルの3種目で、個人戦はすべて3分3セットの15点先取制。有効面はフルーレが上半身の胴体のみ、サーブルが上半身のみに対し、エペは全身。また、エペの攻撃方法はフルーレと同じく「突き」のみ。剣先に750グラム(フルーレは500グラム)の強さのバネが入っており、それ以上の力で突くと得点。両者の「突き」が0・05秒以内ならば「同時突き」になり両者得点になる。

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