松山18位浮上「おにぎり食べたら大丈夫に…」

[ 2011年4月11日 06:00 ]

第3ラウンド、4番、ティーショットを放つ松山英樹

第75回マスターズ第3日

(4月9日 米ジョージア州オーガスタ オーガスタ・ナショナルGC=7435ヤード、パー72)
 アマチュアでただ1人予選を通過した松山英樹(19=東北福祉大2年)が5バーディー、1ボギーの68をマークし、43位から18位にジャンプアップした。68はこの日全体で4番目の好スコア。来年の出場権を得られる16位以内を視界に捉えた。20位スタートの石川遼(19=パナソニック)は2バーディー、3ボギーの73で通算1アンダーの30位に後退した。ロリー・マキロイ(21=英国)がこの日も70とスコアを伸ばし、通算12アンダーで2位に4打差とし首位を守った。

 16番が大歓声に包まれた。スコアを3つ伸ばして迎えたパー3。松山が7番アイアンを振り抜くとボールは真っすぐピンへ向かった。手前10センチに落ちると、カップをまたぐように弾んで奥30センチにピタリ。もう少しでホールインワンの1打にパトロンは拍手喝采。松山も「凄い歓声だったですね」と白い歯を見せた。

 ひょうひょうとした雰囲気は決勝ラウンドも変わらない。東北福祉大の先輩の池田勇太も応援に駆けつけた3日目、世界のトッププロが集う舞台で19歳がスコアを伸ばした。「重圧もなく普通にプレーできた。途中おなかがすいてちょっと緊張したけど、おにぎりを食べたら大丈夫になった」。肩の力の抜けたコメントも松山らしかった。

 日本人史上最年少で予選通過を決めた前夜は左腕に力が入らなくなり、アイシングやマッサージも必要になった。それでも一夜明けたこの日はショットがさえわたった。18ホール中16ホールでパーオン。88・89%のパーオン率はローズと並んで全体の1位だった。

 予選2日間ともボギーだった17番。第2打はグリーン右奥に大きくそれたが、残り45ヤードの第3打を1メートルに寄せてパー。18番もパーで切り抜け日本人9人目となる60台をマーク。同行する東北福祉大の阿部靖彦監督が「人生最高のゴルフじゃないか」と褒めると「そうだと思う」とうなずいた。

 これまで海外メディアからは被災地から来た選手として注目されたが、ホールアウト後はプレーが評価され、公式会見にも呼ばれた。初出場で力を発揮する大学生に「なぜ硬くならないのか」との質問も飛んだ。

 アマチュアでただ1人予選を通り、最終日をホールアウトすればベストアマに輝く。過去にジャック・ニクラウス(60年)、フィル・ミケルソン(91年)、タイガー・ウッズ(95年)ら後の名選手が獲得した価値あるタイトルだ。震災の中、希望の光となる活躍に母校・東北福祉大では「今回の経験を後輩にも伝えないといけない。ミュージアムみたいなものを造りたい」(大学関係者)と構内に記念品を展示するプランも持ち上がった。

 周囲の期待をよそに松山は「ボールをなくして失格にならないよう、30個くらいバッグに入れておきます。いくら池に入れてもいいように」とおどけた。この姿勢を貫ければ、来年の出場権を得る16位以内に入る可能性も十分にある。

 ≪アマ最高成績は2位≫マスターズでのアマチュア選手の最高成績は1947年のF・ストラナハンら3人が記録した2位で優勝はない。トップ10にアマチュア選手が入ったのは62年のC・コー(9位)が最後で、松山が10位以内に食い込めば49年ぶりとなる。また、アマチュア選手の4日間のベストスコアは61年にC・コーが記録した281で、松山は最終日に再び68をマークすればこの記録に並ぶ。大会初出場のアマチュア選手のベストスコアは82年のJ・マッドが記録した67。

 ◆松山 英樹(まつやま・ひでき)1992年(平4)2月25日、愛媛県松山市生まれの19歳。日本アマ出場経験もある父・幹男さんの影響で4歳からゴルフを始める。中2から高知・明徳義塾に編入し、東北福祉大に進学。08年全国高校選手権優勝、09年日本ジュニア優勝。昨年のアジア・アマチュア選手権を制してマスターズ出場権を獲得し、その後の日本オープンで3位。得意クラブはパター。1メートル80、75キロ。

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