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サッカー殿堂入り伝説アナ・金子勝彦さん88歳死去 「三菱ダイヤモンドサッカー」で司会・実況

[ 2023年8月29日 05:30 ]

金子勝彦さん
Photo By スポニチ

 サッカー番組の草分けとして知られる「三菱ダイヤモンドサッカー」で司会・実況を20年間担当した元東京12チャンネル(現テレビ東京)アナウンサーの金子勝彦(かねこ・かつひこ)さんが肺炎のため20日午後5時59分、横浜市内の病院で死去した。88歳。横浜市出身。通夜・告別式はすでに近親者で済ませた。喪主は長男毅彦(たけひこ)さん。サッカーの普及発展に尽力し、12年に日本サッカー殿堂入りした。

 金子さんは最近まで元気だったが、約1カ月前に横浜市内の自宅で転倒し腰を強打して、整形外科病院に緊急入院。その後リハビリのために別の病院に移ったが、体調が急変して肺炎で亡くなった。

 1964年の東京12チャンネル開局と同時に、大阪の毎日放送から移籍し、同年の東京五輪開会式を実況した。68年に始まった三菱ダイヤモンドサッカーでは「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか」で始まる名調子と、解説の故岡野俊一郎さん(後の日本サッカー協会会長)との絶妙な掛け合いで、当時情報の少なかったイングランドやドイツのリーグ戦を放送。W杯は日本で初めて生中継された74年7月の西ドイツ大会決勝を現地から実況した。

 日本代表の欧州遠征にも同行して、68年メキシコ五輪銅メダルメンバーと親交を深めた。70~80年代の日本サッカー低迷期にもダイヤモンドサッカーや日本リーグの試合中継などを通してサッカーの普及発展に力を注いだ。93年にテレ東が中継した「ドーハの悲劇」のイラク戦は東京のスタジオから出演し、試合が終わるとぼうぜんとして言葉が出なかった。テレ東退社後はフリーアナウンサーとして衛星放送などで、海外サッカーの試合中継の実況を担当、06年W杯ドイツ大会の実況も務めた。

 元日本代表監督の横山謙三氏は「1カ月ぐらい前に、ワインを贈ったら、お礼の電話がかかってきた。年に何度か会って、食事をしていた。元気だったのに」と残念がった。関係者によると、しのぶ会の開催が検討されているという。

 ▼川淵三郎氏(日本サッカー協会相談役)サッカーへの愛情も造詣も深く、日本サッカーへの貢献度は群を抜いており、サッカー中継では名実ともにNo.1のアナウンサーです。お声が懐かしく思い出されます。

 ▼田嶋幸三氏(日本サッカー協会会長)「ダイヤモンドサッカー」によって“世界を目指す”という意識やサッカーへの情熱が育まれたことは間違いありません。その気持ちを忘れず、これからも日本サッカーの発展に尽くしていきます。

 ▼奥寺康彦氏(日本人プロサッカー選手第1号)ブレーメンにも来ていただいて食事をした思い出がある。サッカーに熱い気持ちを持った人だった。お会いしたのはコロナの前が最後。時々電話では話していたが、ズバリと苦言も呈する素晴らしい人だった。

 金子 勝彦(かねこ・かつひこ)1934年(昭9)8月30日生まれ、横浜市出身。中大から57年に大阪の毎日放送にアナウンサーとして入社、64年に東京12チャンネルへ。アナウンス室長として後進の指導にも力を注いだ。

 ▽三菱ダイヤモンドサッカー 68年4月に東京12チャンネルで放送開始。当初は英BBCのサッカー番組「マッチ・オブ・ザ・デー」を翻訳して放送。番組名も「イギリスプロサッカー」だったが、70年に「三菱…」に変更。当時は欧州サッカーやW杯を伝える番組は貴重で、サッカー少年のバイブルとなった。88年に番組は終了し、放送回数は993回。Jリーグ開幕の93年に川平慈英をキャスターに迎えて再始動し、96年に終了した。

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