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サッカー殿堂に掲額される国際委員の北山朝徳さんの功績

[ 2022年7月27日 10:10 ]

19年6月、日本サッカー協会と南米サッカー連盟とのパイプを構築した北山朝徳氏の死去を受けて、練習の冒頭に黙とうとささげた久保建ら日本イレブン
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 【大西純一の真相・深層】日本サッカー協会の国際委員で、2019年6月18日に72歳で亡くなった北山朝徳さんが、日本サッカー協会のサッカー殿堂に掲額されることが決まった。

 サッカー殿堂に掲額されるのは監督や選手、役員が多いが、アルゼンチン在住の北山さんは、国際委員として外から日本サッカーの進化や強化に大きく貢献した。特にFIFAや南米サッカー連盟など世界のサッカー界とのつながりをつくる上で尽力。韓国との激しい招致争いは世界のサッカー界を二分したが、日本を支えてくれた南米連盟とのパイプは、北山さんが築いたものだった。

 1994年から4年間、Jリーグ開幕前に「SANWA BUNK CUP」という大会が開催された。前年のJリーグ王者と世界のタイトルホルダークラブが対戦するもので、第1回の94年はスポニチが主催し、アルゼンチンの100周年記念トーナメントの優勝チームが来日して対戦することになった。北山さんが橋渡ししてくれたものだった。リバープレートとヒムナシアが対戦した決勝戦を現地で取材したが、両チームの役員だけでなく、リバープレートのパサレラ監督も北山さんには特別な敬意を払っていたのは驚いた。98年W杯フランス大会の初戦でアルゼンチンと対戦が決まった直後、ブエノスアイレスまで取材に行ったが、この時もアルゼンチン代表監督になっていたパサレラ監督は「北山さんの頼みなら」と、インタビューを引き受けてくれた。

 北山さんから教わったことは多い。中でも人と接することを大切にする姿勢は学ばされた。北山さんは積極的に人と会った。酒はほとんど飲まなかったが、何時間でもコーヒーや水を飲みながら話をした。だからいつも北山さんの回りには人が集まった。

 日本サッカー協会がFIFAや南米連盟など世界のサッカー界とつながれたからこそ、日本代表も強くなった。マッチメークでも92年5~6月にアルゼンチン代表とウェールズ代表を招いてキリンカップを開催したが、日本代表と強豪国の対戦が実現したことで強化につながった。もちろんアルゼンチンを呼べたのは北山さんのお陰。それまで世界の強豪国との国際Aマッチは中々実現しなかったが、この試合をきっかけにいいカードが組めて日本代表は力を付けていった。

 北山さんがサッカー殿堂に掲額され、功績が評価されることは意義がある。日本が強くなっていった陰には、いろいろな人の力がある。北山さんのように見えないところでサポートしてくれた人にスポットライトが当たることは何よりだ。選手だけでなく、日本のサッカーを支える人がたくさんいることも多くの人に知ってもらえるいい機会になると思う。

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2022年7月27日のニュース